桜井規矩之左右
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生誕 | 1848年7月6日 |
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死没 | 1912年11月27日(64歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1876年 - 1906年 |
最終階級 | 海軍少将 |
桜井 規矩之左右(さくらゐ きくのすけ、嘉永元年6月6日(1848年7月6日) - 大正元年(1912年)11月27日)は、日本の武士、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校3期。最終階級は海軍少将。海軍砲術学校長、巡洋艦「比叡」「松島」「千歳」「橋立」の艦長を歴任。
略歴
[編集]嘉永元年(1848年)下総国佐倉藩佐倉城下に生まれる。15歳で佐倉藩藩校「成徳館」(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)に入り、経書詩文を学ぶ。卒業後、佐倉藩士をへて、明治4年(1871年)海軍に入り、明治20年(1887年)少佐。日清戦争では比叡艦長として、特に黄海海戦で功績を残した。その後、松島、千歳、橋立の艦長を歴任し、明治33年(1900年)海軍砲術練習所長。明治34年(1901年)後備役となった。大正元年(1912年)、64歳で没。
年譜
[編集]- 嘉永元年(1848年)6月6日 - 生
- 明治4年(1871年)8月2日 - 海兵入寮
- 明治6年(1873年)3月12日 - 「筑波」乗組
- 7月26日 - 帰寮
- 明治7年(1874年)11月19日 - 「筑波」乗組
- 12月29日 - 帰寮
- 明治8年(1875年)4月22日 - 「筑波」乗組
- 明治9年(1876年)9月6日 - 海軍少尉補 、海兵通学
- 明治10年(1877年)2月17日 - 「日進」乗組
- 11月10日 - 東海水兵本営在勤
- 明治11年(1878年)5月16日 - 「扶桑」乗組
- 7月9日 - 海軍少尉
- 明治13年(1880年)8月12日 - 海軍中尉
- 明治14年(1881年)11月19日 - 海兵学術卒
- 明治16年(1883年)11月5日 - 海軍大尉
- 明治17年(1884年)1月23日 - 海兵監事
- 2月25日 - 軍事部出勤(二課)
- 明治19年(1886年)1月29日 - 艦政局運輸課僚/軍事部勤務
- 3月5日 - 艦政局海運課僚/軍事部勤務
- 3月15日 - 軍事部勤務
- 3月22日 - 参本海軍部第二局課員
- 明治20年(1887年)12月24日 - 海軍少佐
- 明治21年(1888年)5月14日 - 横須賀鎮守府参謀
- 明治22年(1889年)3月9日 - 呉鎮守府参謀
- 明治24年(1891年)7月23日 - 「金剛」副長
- 明治25年(1892年)6月3日 - 「干珠」艦長
- 明治26年(1893年)5月20日 - 「海門」艦長心得
- 明治27年(1894年)6月8日 - 「比叡」艦長心得
- 12月7日 - 海軍大佐、「比叡」艦長
- 明治28年(1895年)9月28日 - 横鎮参謀長
- 明治30年(1897年)12月7日 - 「松島」艦長
- 明治31年(1898年)3月1日 - 「千歳」回航委員長(米国出張)
- 10月27日 - 「千歳」艦長
- 明治32年(1899年)4月20日 - 帰着
- 5月1日 - 「橋立」艦長
- 5月24日 - 待命
- 明治33年(1900年)11月1日 - 砲術練習所長
- 明治34年(1901年)6月1日 - 待命
- 7月1日 - 海軍少将
- 明治39年(1906年)7月1日 - 退役
- 大正元年(1912年)11月27日 - 歿 (64歳)
栄典・授章・授賞
[編集]- 1880年(明治13年)
- 1883年(明治16年)12月25日 - 正七位[1][2]
- 1890年(明治23年)1月17日 - 従六位[1][3]
- 1894年(明治27年)12月28日 - 正六位[1][4]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 従五位[1][5]
- 1901年(明治34年)7月20日 - 正五位[1][6]
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月22日 - 勲六等瑞宝章[1][7]
- 1894年(明治27年)11月24日 - 勲五等瑞宝章[1][8]
- 1895年(明治28年)
- 1912年(大正元年)11月27日 - 勲四等旭日小綬章[10]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 「海軍少将正五位勲五等功四級桜井規矩之左右」 アジア歴史資料センター Ref.A10112749000
- ^ 『官報』第177号「叙任」1884年2月4日。
- ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
- ^ 『官報』第3453号「叙任及辞令」1895年1月4日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第5415号「叙任及辞令」1901年7月22日。
- ^ 『官報』第1925号「叙任及辞令」1889年11月27日。
- ^ 『官報』第3430号「叙任及辞令」1894年12月3日。
- ^ 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
- ^ 『官報』第100号「叙任及辞令」1912年11月29日。
- ^ 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年、を171頁。
関連文献
[編集]- 『坂の上の雲』司馬遼太郎著
- 『日露戦争物語』第15~16巻・ビッグ・コミックス・江川達也著 小学館 2005年5月出版 ISBN 9784091872265 (4091872263)
- 『日清海陸将校列伝 附・写真版肖像』中利通著 大倉書店 明治27年
- 『英雄の快擧』宮崎一雨著 弘文堂書店 大正2年