王領ハンガリー
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- ハンガリー王国
- Magyar Királyság
Königreich Ungarn
Regnum Hungariae -
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←1526年 - 1867年 →
→(国旗) (国章) - 国の標語: Regnum Mariae Patrona Hungariae[1]
マリアの王国、ハンガリーの保護者 - 国歌: Himnusz
賛称
1752年におけるハンガリー王国の地図(青色)-
公用語 ラテン語
(1784年以前、1790年 - 1844年)
ドイツ語
(1784年 - 1790年、1849年 - 1867年)
ハンガリー語
(1836年 - 1849年)言語 ルーマニア語、スロバキア語、クロアチア語、スロベニア語、セルビア語、イタリア語、ルーシ語 宗教 カトリック、カルヴァン派、ルター派、東方正教、ユニタリアン主義、ユダヤ教 首都 ブダ
(1526年 - 1536年、1784年 - 1873年)
プレスブルク
(1536年 - 1783年)- Apostolic King
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1526年 - 1564年 フェルディナーンド1世 1848年 - 1867年 フェレンツ・ヨージェフ1世 - 変遷
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モハーチの戦い 1526年8月29日 ナジヴァーラド条約 1538年2月24日 カルロヴィッツ条約 1699年1月26日 ラーコーツィの独立戦争 1703年 - 1711年 ハンガリー革命 1848年3月15日 アウスグライヒ 1867年3月30日
通貨 Forint
王領ハンガリー(おうりょうハンガリー、ポーランド語: Királyi Magyarország、ドイツ語: Königliches Ungarn)は、近世ヨーロッパに存在した地域区分。ハンガリーの歴史的な支配領域の一つ。
歴史
1541年にオスマン帝国によってブダ(現在のブダペストの一部)が制圧された後、オーストリア系ハプスブルク家(ハプスブルク帝国)が支配した、元のハンガリー王国の北部と西部に当たる地域である。現在のハンガリー西部、スロバキア領、クロアチア領、オーストリア領(ブルゲンラント州)などが含まれる。
1593年から勃発した長期トルコ戦争の舞台となり、この戦争は長期に及び、講和は1606年のジトヴァ・トロク条約によりなされた。
1663年に勃発した墺土戦争の戦場にもなり、オスマン側はウイヴァール城塞を攻略した。サンクトゴットハルトの戦いでオスマン軍は敗れたものの、翌年結ばれたヴァシュヴァールの和約によりウイヴァールはオスマン側が領有することになった。
1683年に大トルコ戦争が始まった後も戦争の舞台となったが、これを撃退し1687年にモハーチの戦いで勝利後はバナト以外のかつてのハンガリー領を回復した。
脚注
- ^ Adeleye, Gabriel G. (1999). World Dictionary of Foreign Expressions. Ed. Thomas J. Sienkewicz and James T. McDonough, Jr. Wauconda, IL: Bolchazy-Carducci Publishers, Inc. ISBN 0-86516-422-3.
関連項目
- モハーチの戦い
- オスマン帝国領ハンガリー
- 東ハンガリー王国
- トランシルヴァニア公国
- ムラト3世:彼の時代の1593年に長期トルコ戦争が始まった。
- メフメト3世:即位後の1596年にハンガリーへ遠征した。
- アフメト1世:1606年にジトヴァ・トロク条約を締結した。
- ハンガリー王国 (曖昧さ回避)