幾春別駅
幾春別駅 | |
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いくしゅんべつ Ikushumbetsu | |
◄弥生 (1.3 km) | |
所在地 | 北海道三笠市幾春別町1丁目 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 幌内線 |
キロ程 | 7.2 km(三笠起点) |
電報略号 | イク |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1888年(明治21年)12月10日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)7月13日[1] |
備考 | 幌内線廃線に伴い廃駅 |
幾春別駅(いくしゅんべつえき)は、かつて北海道三笠市幾春別町1丁目に置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線(支線)の駅(廃駅)である。電報略号はイク。事務管理コードは▲131523[2]。
歴史
官営幌内鉄道幾春別支線は、幌内太駅(三笠駅)より1マイル延伸しただけで建設を中断し放置されていたが、幾春別からの出炭及び販売を当初から目標として掲げ、当鉄道の業務を委託された北有社によって延伸開業された。当初は空知集治監の囚人が炭鉱労役に就いていたため、出炭駅である当駅や幌内駅の一般人の利用は多くなかったが、集治監の廃止による一般人の採用や幾春別炭砿の採炭量増加、奔別炭砿の開発により周辺人口が増えたこともあり、利用客が徐々に増え、特に戦後の増産体制によって一気に増加した。年間乗降客数は1958年度(昭和33年度)に746,441人を記録しており、幌内線では三笠駅に次いで多かった。一方貨物の方は2つの大手炭鉱を擁していた[注 1]ため取扱量は同線で最大で、1963年(昭和38年)には発送量1,316,213 tと幌内駅の2倍以上を記録している。このため貨車扱い要員が多く駅員数も最多で、特に戦時中は女子採用者が多く、重労働であったためか、1942年(昭和17年)には70人という大所帯であった。
2021年現在でもホームの末端部と、構内にあったアカダモの木が残っている。
年表
- 1888年(明治21年)12月10日:官営幌内鉄道の郁春別駅(いくしゅんべつえき)として、北有社により開業[1]。一般駅[1]。
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年)11月21日:構内改良のため休止[6]。
- 1891年(明治24年)4月:営業再開[1]。
- 1906年(明治39年)
- 1916年(大正5年)4月:伊沢良立(後に東邦炭砿株式会社に売却)が、弥生砿から当駅積込場へ運炭用馬車軌道を敷設[7]。
- 1927年(昭和2年):東邦炭砿弥生砿の馬車軌道廃止(後の弥生駅の三笠側本線脇に積込場を設けたため)[7]。
- 1936年(昭和11年)3月:駅舎改築[7]。
- 1957年(昭和32年):北炭幾春別炭砿が閉山[7]。
- 1959年(昭和34年):構内改良により、本線側線増設[7]。
- 1960年(昭和35年)
- 1971年(昭和46年)10月25日:住友石炭鉱業奔別炭砿が閉山。専用線廃止。
- 1981年(昭和56年)5月25日:貨物の取り扱いを廃止[8]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止[1]。業務委託化。
- 1986年(昭和61年)11月1日:無人駅となる[9]。
- 1987年(昭和62年)
駅名の由来
当駅が所在した地名より。幾春別川の川名から付いたもので、地名としては幾春別川上流域を指す[10]。
1882年(明治15年)前後の幌内村形成後から開拓者が入り始め、「郁春別」の当て字を付け、それが駅名となり、上流域の地名となった[10][11]。
1889年(明治22年)5月28日に幾春別村が発足し、駅名も字が変更された[12][11]。
駅構造
駅周辺
- 幾春別市民センター
- 幾春別郵便局
- 北海道中央バス「幾春別町」停留所
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 幌内線
- 弥生駅 - 幾春別駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、842-843頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c d 1947年撮影航空写真 USA-M584-18(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ a b c d 1954年測量2万5千分の1地形図「幾春別」
- ^ 出典は「停車場変遷大事典 国鉄・JR編II JTB出版」。ただし明確な典拠によるものではなく、この日に村名が変わったという理由のみ根拠としている。「北海道炭礦鐡道 第一回報告 明治22年 明治23年2月26日報告」5頁では「郁春別」と記されているが、「第二回報告 明治23年上半期 明治23年6月30日報告」12頁からは「幾春別」になっている。
- ^ 『官報』 1890年11月25日 鉄道庁彙報「列車運転休止」(国立国会図書館デジタルコレクション) 駅名がまだ「郁春別」のまま。
- ^ a b c d e f g h 三笠市史 昭和46年3月発行。
- ^ “日本国有鉄道公示第29号”. 官報. (1981年5月23日)
- ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、43頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b 新三笠市史 平成5年1月発行 P32等。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、61頁。ASIN B000J9RBUY。