黒田一義
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黒田 一義(くろだ かずよし、1860年8月25日(万延元年7月9日[1]) - 1918年(大正7年)[2]11月15日[1])は、旧福岡藩大老・三奈木黒田家13代当主。明治に至り男爵となった。
経歴
藩祖黒田孝高の養子、黒田一成を家祖とする。代々1万6000石を食み、福岡藩の国老を務める[3]。
11代当主黒田一美の長男で義兄の12代当主一雄(黒田一葦二男)の跡を明治12年(1879年)に継いだ[1]。先々代一葦の維新の際の功により、明治33年に特旨をもって華族に列し男爵を授けられる[3]。
旧地に残る別邸の「旧三奈木黒田家庭園」は、福岡県朝倉市の指定文化財(名勝)に指定された。
家族
- 祖父・黒田一葦 - 父一美の妻、千代子の父。筑前三奈木黒田家10代当主
- 父・黒田一美(1830-1897) - 黒田曙園の長男[2][4]。一葦の甥[5]。三奈木黒田家11代当主
- 義兄・黒田一雄(1844-1912) - 一葦の二男。一美の養子[4]。三奈木黒田家12代当主。前妻ハルは黒田静意の娘、後妻タマは黒田曙園の娘。35歳で一義に家督を譲る。[2]
- 母・イサ(1834年生) - 福岡県士族・野村隼人長女[4]
- 妻・タキ(1864年生) - 加藤静也の娘。[2]
- 長男・黒田義夫(一弘、1890-1922) -三奈木黒田家14代当主 [2]
- 二男・黒田稔(1895-1939) - 男爵、旧福岡藩国老。三奈木黒田家15代当主。東京帝国大学法学部政治科卒業後、横浜正金銀行員。岳父に松本健次郎[2]。
- 孫・黒田一夫(1925-1973) - 稔の長男。男爵、旧福岡藩国老。三奈木黒田家16代当主。妹に喜代子、弟に黒田美治あり[6]
栄典
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
外部リンク
- 旧三奈木黒田家庭園 - 福岡県朝倉市
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 (三奈木)黒田家初代 1900年 - 1918年 |
次代 黒田一弘 |