重盛信近
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重盛信近 しげもり のぶちか | |
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生年月日 | 1855年8月10日 |
出生地 |
日本 伊勢国三重郡 (現三重県三重郡菰野町) |
没年月日 | 1919年11月29日(64歳没) |
出身校 |
三重県師範学校卒業 (現三重大学教育学部) |
前職 | 小学校教員 |
所属政党 |
(無所属→) (立憲改進党→) (大隈伯後援会→) (公友倶楽部→) (公正会→) 無所属 |
選挙区 | 三重県郡部選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1915年3月 - 1917年1月25日 |
鵜川原村長 | |
第18代 三重県会議長 | |
在任期間 | 1902年11月 - 1903年8月 |
在任期間 | 1899年11月 - 1901年11月 |
在任期間 | 1885年 - 1915年 |
重盛 信近(しげもり のぶちか、1855年8月10日(安政2年6月28日[1])- 1919年(大正8年)11月29日[2][3])は、明治から大正前期の実業家、政治家。衆議院議員、三重県会議長、三重県三重郡鵜川原村長。
経歴
伊勢国三重郡、のちの三重県[2]三重郡鵜川原村[4][5](現菰野町)で、重盛春造の四男として生まれ[1]、1875年(明治8年)5月に重盛泰助の養子となる[1]。1878年(明治11年)三重県師範学校を卒業[2][3][4][5]。小学校教員を務めた[4]。
1885年(明治18年)三重県会議員に選出され1915年(大正4年)まで在任[3]。同常置委員、同副議長、同議長、鵜川原村長などを務めた[2][3][4][5][6]。1915年3月の第12回衆議院議員総選挙に三重県郡部から無所属で出馬し、長らく県会議員として務めた実績により当選し[3][4][7]、公友倶楽部、公正会に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3][5]。
実業界では、三重県精撰米組合委員長、四日市米油株式取引所理事長、四日市製紙専務取締役 などを務めた[1][2][3]。
国政選挙歴
- 第3回衆議院議員総選挙(三重県第2区、1894年3月、無所属)落選[8]
- 第4回衆議院議員総選挙(三重県第2区、1894年9月、立憲改進党)落選[9]
- 第12回衆議院議員総選挙(三重県郡部、1915年3月、無所属)当選[7]
脚注
- ^ a b c d 『人事興信録 第4版』し53頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』307頁。
- ^ a b c d e f g 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』88、90頁。
- ^ a b c d e 『現代日本の政治家』交友倶楽部100-101頁。
- ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』219頁。
- ^ “三重県議会 歴代正副議長”. www.pref.mie.lg.jp. 2021年6月10日閲覧。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』54頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』24頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』85頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。