津田勉

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津田 勉(つだ つとむ、1939年10月6日 - )は三重県政治家教育者学校法人津田学園の創設者で初代理事長。津田学園最高顧問(現在)。1975年から1999年までの6期24年間に三重県議会議員として活動していた。元三重県議会議長。三重県四日市市小山田地区の美里町出身。平成21年に旭日小綬章を受勲。平成25年に県民功労者表彰(地方自治功労賞)を受ける。

経歴[編集]

昭和14年生まれで昭和27年3月に三重郡小山田村立小山田小学校(現在の四日市市立小山田小学校)を卒業。昭和30年3月に三重郡水沢村立水沢中学校(現在の四日市市立西陵中学校)を卒業。三重県立四日市高等学校普通科に通う。四日市高等学校を卒業した後に東京都上京して、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業する。

早稲田大学卒業後は日本楽器株式会社に勤務を経て、その後衆議院議員山本幸雄の秘書となる。その後、学校法人津田学園を設立。また、自由民主党所属の三重県議会議員となる。

活動[編集]

  • 昭和50年から平成11年まで24年間三重県議会議員の以下の役職を歴任する。
    1. 三重県議会の監査委員
    2. 四日市港管理組合議長
    3. 三重県議会副議長(第81代)
    4. 三重県議会議長(第82代)
  • 1989年5月から~1990年5月の期間に三重県議会議長となった。[1]
  • 昭和47年に学校法人津田学園を創立。同年4月四日市市笹川に笹川幼稚園(現津田第一幼稚園)を、その後4つの幼稚園を開園する。さらに桑名市野田に津田学園小学校・津田学園中学校・高等学校そして2つの専門学校(津田体育専門学校 津田情報ビジネス専門学校)を開校させる。同時にスポーツや芸術・文化振興を目的とする各種教室も開設し、津田学園を総合学園に発展させた。
  • 昭和47年に笹川幼稚園(現在の津田第一幼稚園)を開園させる。
  • 昭和49年に笹川第二幼稚園(現在の津田第二幼稚園)を開園させる。
  • 昭和53年に三滝幼稚園(現在の津田三滝幼稚園)を開園させる。
  • 昭和57年に桑名中央幼稚園(現在の津田桑名幼稚園)を開園させる。
  • 昭和60年に津田学園附属幼稚園(現在の津田大山田幼稚園)を開園させる。
  • 昭和61年に津田学園中学校を開校する。
  • 同年体育専門学校を開校する。
  • 昭和62年に津田学園高等学校を開校する。
  • 平成3年に津田情報ビジネス専門学校を開校する。
  • 平成16年に津田学園小学校を開校する。

プロフィール[編集]

  • 趣味は音楽鑑賞・スポーツ観戦。
  • 家族は妻と、長女と、三重県議会議員の長男である津田健児と、二男の津田浩二(津田学園理事長)がいる。
  • 信条は努力と誠実である。
  • 四日市市笹川地区在住[1]

脚注[編集]

  1. ^ 三重県紳士録262ページ第2段落左側の項目(生年・現職・経歴・趣味・家庭・信条・横顔)

関連項目[編集]