怒りの広島 祈りの長崎
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怒りの広島 祈りの長崎(いかりのひろしま いのりのながさき)は、日本の広島・長崎市民らの、原子爆弾による被爆や反核運動・核廃絶運動・原水爆禁止運動などに対する態度をあらわすフレーズ。
概要
このフレーズは日本国内にとどまらず世界的な広がりを意識する場合には地名をカタカナで表記することがあり、「怒りのヒロシマ 祈りのナガサキ」とも言われる。
広島市・長崎市の両市民、全てがそのように振る舞うわけではなく、広島にも「祈る」人はいるであろうし、長崎にも「怒る」人がいるであろうことには、留意しなければならない。
このフレーズがイメージ先行、もしくは何らかのプロパガンダである可能性は、川野徳幸(広島大平和科学研究センター准教授、当時)による被爆60年後の被爆者アンケートの研究成果からも示唆される[1][2]。
式典
- 広島平和記念式典
- 広島市としての正式な名称は、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」。
- 広島平和記念公園で参列者は、原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑。原爆死没者名簿を納める)と正対する。参列者のさらに正面には原爆ドームを、原爆ドームのやや右手に爆心地(グラウンド・ゼロ)である島病院(島外科病院)をそれぞれ眺めることになる。
- 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
- 平和公園で参列者は、平和祈念像に正対する。爆心地(原爆落下中心地碑。原爆死没者名簿のマイクロフィルムを納める)や国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(原爆死没者名簿の原本を納める)に対しては、参列者はいずれも背を向けることになる。
- 長崎県は、8月9日を「県民祈りの日」として定めている。
原爆の日
- 広島
- 広島市教育委員会は2006年・2007年に8月6日を登校日とするよう要請する通達を出し、市立の小学校・中学校の多くで実施されている。それまでは、8月6日を登校日とする学校は少数であった。
- 長崎
- 長年にわたって、長崎市だけでなく長崎県下全ての公立の小学校・中学校・高校で、8月9日が登校日となっている。なお、8月9日が土曜日・日曜日であれば、その前後に登校日をずらす場合が多い。
また、広島・長崎以外にも全国各地の市区町村において、8月6日または8月9日を公立の小学校・中学校の登校日としているところも多い。
被爆遺構
文学
- 広島
- 大田洋子 『屍の町』 - GHQのプレスコード(検閲)により部分削除して出版。
- 栗原貞子 - プレスコードにより部分削除・自主規制して詩集を出版。
- 峠三吉 - プレスコードを避けて詩集を地下出版。
- 長崎
- 永井隆 『長崎の鐘』 - GHQが当初は差し止めたものの、検閲・許可を得て出版、ベストセラーとなる。刊行同年の1949年には同書に想を得て同名の歌謡曲が、翌年には同書を原作として同名の映画が、それぞれつくられた。永井隆、浦上燔祭説も参照。
歌
著名な運動
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平和宣言
- 広島
- 被爆体験に関する懇談会を開いて被爆者の体験談などを盛り込んでいる。
- 長崎
- 平和宣言文起草委員会(委員20名)の数回の会合を経て、長崎市平和推進室が文案を取りまとめ、2007年の場合はさらに市議会の意見を聞いたうえで、長崎市長が最終的に決定する[3][4]。
脚注
- ^ “「怒りの広島」「祈りの長崎」イメージだけ 広島大准教授が分析”. 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター (2010年6月7日). 2022年7月2日閲覧。
- ^ “IV 原爆体験と原爆被爆者の平和観”. 国際平和拠点 ひろしま. 2022年7月2日閲覧。
- ^ 平和原爆企画 【違いをこえて 今、語りつぐ平和】 行政「中立」に過剰反応 http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000230608090003 朝日新聞 長崎県版 2006年8月8日
- ^ 長崎平和宣言 「原爆投下への誤った認識」 久間発言 指弾の文言 西日本新聞 長崎(長崎、佐世保)県版 2007年7月21日
関連項目
外部リンク
- 広島・ヒロシマについて 広島で思うこと・感じること (21世紀の日本と国際社会 浅井基文のページ)
- 理解深まるか 被爆地⇔軍商都市 長崎新聞 連載 2005年8月 - 2007年3月 (長崎市と佐世保市との比較検証)