コンテンツにスキップ

ナイトノイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。慈姑鑑真 (会話 | 投稿記録) による 2019年12月30日 (月) 15:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:ニューエイジ・ミュージシャンを除去; Category:アイルランドのニューエイジ・ミュージシャンを追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ナイトノイズ
出身地 アイルランドの旗 アイルランド
ジャンル ニューエイジ・ミュージックケルト音楽
活動期間 1984年 - 2003年
レーベル ウィンダム・ヒル・レコード
共同作業者 遊佐未森
旧メンバー ミホール・オ・ドーナル
ビリー・オスケイ
トリーナ・ニ・ゴーナル
ブライアン・ダニング
ジョニー・カニンハム
ジョン・フィッツパトリック

ナイトノイズ(Nightnoise)は、アイルランド人ミュージシャンのミホール・オ・ドーナルを中心に結成されたバンド。当初はアメリカを拠点に活動していたが、後にメンバーの生地であるアイルランドに移る。

来歴

ドーナル・ラニー率いるボシー・バンドで活動していたミホール・オ・ドーナルは、アメリカのオレゴン州ポートランドに渡り、アメリカ人ヴァイオリニストのビリー・オスケイと共にナイトノイズを結成。ウィンダム・ヒル・レコードとの契約を得て、1984年にデビュー。その後、ブライアン・ダニングと、ミホールの妹トリーナ・ニ・ゴーナルが加入し、セカンド・アルバム『Something of Time』(1987年)以降は4人編成のバンドとして活動。

『The Parting Tide』(1990年)を最後にビリー・オスケイが脱退し、後任としてスコットランド人のジョニー・カニンハムが加入。これにより、ナイトノイズはメンバー全員がケルト人となり、音楽的にもトラッド音楽からの影響を取り入れていった[1]。また、かねてよりナイトノイズのファンであった遊佐未森のミニ・アルバム『水色』(1994年)に、4人全員がゲスト参加。

1996年、ジョニーを除く3人がアイルランドに帰国。その後、帰国直前のライヴを収録した初のライヴ・アルバム『The White Horse Sessions』を発表。ヴァン・モリソンのカヴァー「ムーンダンス」も含む内容で、結果的には、同作がナイトノイズ最後のアルバムとなった。また、北アイルランド出身のジョン・フィッツパトリックが、ジョニーの後任として加入[2]。帰国後のバンドは、遊佐未森のアルバム『roka』(1997年)へのゲスト参加や、テレビ番組出演などの活動を行うが、アルバムはリリースされなかった。

2003年、ナイトノイズは解散[2]。中心人物のミホール・オ・ドーナルは2006年に死去。

メンバー

アイルランド人
アメリカ人、1990年脱退
アイルランド人
アイルランド人
  • ジョニー・カニンハム(Johnny Cunningham) - フィドル
スコットランド人、1990年加入・1996年脱退
  • ジョン・フィッツパトリック(John Fitzpatrick) - フィドル
北アイルランド人、1997年加入

ディスコグラフィ

  • Nightnoise(1984年)
  • 時は幻 - Something of Time(1987年)
  • 世も果てて - At the End of the Evening(1988年)
  • ひき汐 - The Parting Tide(1990年)
  • シャドウ・オブ・タイム - Shadow of Time(1993年)
  • 記憶の岸辺 - A Different Shore(1995年)
  • ホワイト・ホース・セッションズ - The White Horse Sessions(1997年、ライヴ・アルバム)
  • ナイトノイズ〜ベスト・コレクション - Pure Nightnoise(2006年、コンピレーション・アルバム)

脚注

  1. ^ 『アイリッシュ&ケルティック・ミュージック』(山尾敦史・編、晶文社、1997年7月、ISBN 4-276-23807-2)p.48
  2. ^ a b NME.com

外部リンク