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秋月種道

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秋月種道
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 建武3年/延元元年3月2日1336年4月13日
官位 筑前権守
氏族 秋月氏
父母 父:秋月種顕
種忠
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秋月 種道(あきづき たねみち)は、南北朝時代武将

経歴・人物

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建武3年/延元元年(1336年)、多々良浜の戦いにて宮方に属し戦うが、20余人の同族を失い大敗を喫す[1]。種道は戦線を離脱し大宰府まで落ち延びるが追手に囲まれ、同年3月2日遂に討死した[2]

脚注

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  1. ^ 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.15(1985)
  2. ^ 上田正昭・ほか編『日本人名大辞典』講談社、p.25(2001)