秋月種殷

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秋月種殷
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文化14年6月9日1817年7月22日
死没 明治7年(1874年3月18日
別名 栄之助(通称)
墓所 東京都港区六本木の六本木墓苑
官位 従五位下、長門
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定家茂慶喜
日向高鍋藩
氏族 秋月氏
父母 父:秋月種任、母:雅子(脇坂安董の娘)
兄弟 種殷種樹、ヲタカ(一柳末延正室)、ヲヨリ(一柳頼紹正室)、大関増儀正室
正室:黒田長韶の娘
継室:上杉斉定の娘
娘(黒田長徳正室)
養子:種樹
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秋月 種殷(あきづき たねとみ)は、幕末期の大名。日向国高鍋藩第10代(最後)の藩主。第9代藩主・秋月種任の長男。

天保14年(1843年)8月21日、父・種任から家督を譲られて当主となる。治世は30年に及び、教育の振興に尽力した。

明治2年(1869年)の版籍奉還後は高鍋知藩事となり、明治7年(1874年)に廃藩置県が行われて高鍋藩は終焉を迎える。男子がなかったため、弟の種樹を養子とした。明治7年(1874年)、58歳で没した。