秋月種春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
秋月種春
時代 江戸時代前期
生誕 慶長15年5月11日1610年7月1日
死没 万治2年10月15日1659年11月29日
改名 種孝、種隣
別名 黒帽子(幼名)、三郎(通称
戒名 大洋院殿 古巌宗帆大居士
官位 従五位下、長門
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光家綱
日向高鍋藩
氏族 秋月氏
父母 父:秋月種貞、母:オチョウ(秋月種長の娘)
養父:秋月種長
佐久間勝之の娘
アグリ(六条有縄室)、種信、セン(早世)、半之丞、カン(早世)、湛栄(僧侶

秋月 種春(あきづき たねはる)は、日向国高鍋藩の第2代藩主。初代藩主・秋月種長の甥・秋月種貞と種長の娘・オチョウの長男。

生涯[編集]

秋月家の家督は当初、種長の後は種長の娘婿である種貞が継ぐこととなっていた。しかし、種貞は病弱であったために廃嫡され、その息子で種長の外孫である種春が代わって養子となり、慶長19年(1614年)に種長の死去により跡を継いだ。

幼少で継いだために15歳になるまで高鍋への下向が叶わず、その間に藩政を牛耳った白井種盛種重家老親子の専横、及びそれが発端となって発生した「上方下方騒動」という40年近くにも及ぶ騒動に悩まされ続けた。

万治2年(1659年)、50歳で死去し、跡を長男・種信が継いだ。