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黒田直樹

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黒田 直樹(くろだ なおき、1940年(昭和15年)12月18日 - )は、日本通産官僚。元資源エネルギー庁長官国際石油開発帝石株式会社代表取締役会長。

略歴

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  • 愛知県岡崎市生まれ。
  • 1959年(昭和34年)3月:愛知県立岡崎高等学校卒業。
  • 1963年(昭和38年)3月:東京大学法学部卒業。
  • 1963年(昭和38年)4月:通商産業省入省。
  • 公益事業局、経済企画庁出向、通商政策局、重工業局、ジェトロブラッセル事務所を経て[1]
  • 通商産業省産業政策局産業組織政策室長。
  • 資源エネルギー庁公益事業部業務課長。
  • 通商産業省機械情報産業局自動車課長。
    自動車課長在任中、「日米自動車戦争」における日本の対米自動車輸出自主規制枠を230万台を超えないことで通産省が強引に決着させた。日米間の日本による自動車自主規制枠は、1981年に合意[2]され年168万台と定められ、1984年に185万台、1985年から最終的に1993年まで年230万台の上限枠が設けられた。
  • 資源エネルギー庁石油部計画課長。
  • 1988年(昭和63年)6月:名古屋通商産業局長。
  • 1989年(平成元年)6月:資源エネルギー庁石油部長。
  • 1991年(平成3年)6月:資源エネルギー庁次長。
  • 1992年(平成4年)6月:資源エネルギー庁長官。
  • 1993年(平成5年):退官。
  • 1993年(平成5年)8月:株式会社東京銀行顧問。
  • 1993年(平成5年)8月:三井海上火災保険株式会社顧問。
  • 1995年(平成7年)8月:住友商事株式会社顧問。
  • 1996年(平成8年)6月:住友商事株式会社常務取締役。
住友商事での銅取引巨額損失事件(「ミスター5%」も参照)が発覚し、記者会見を担当。
  • 1999年(平成11年)6月:インドネシア石油株式会社取締役。
  • 2001年(平成13年)4月:住友商事株式会社代表取締役副社長。
  • 2004年(平成16年)8月:住友商事株式会社特別顧問。
  • 2004年(平成16年)9月:国際石油開発株式会社代表取締役副社長。
  • 2005年(平成17年)6月:国際石油開発株式会社代表取締役社長。
  • 2006年(平成18年)4月:国際石油開発帝石ホールディングス株式会社代表取締役社長。
  • 2008年(平成20年)10月:国際石油開発帝石株式会社代表取締役社長。
  • 2010年(平成22年)10月:国際石油開発帝石株式会社代表取締役会長[3]
  • 2012年(平成24年)5月 石油鉱業連盟会長[4]

同期入省者

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通産省入省同期(1963年度)には、牧野力(通産事務次官)、秋山收(内閣法制局長官)、高島章(特許庁長官)、麻生渡(特許庁長官、福岡県知事)、長田英機(中小企業庁長官)、川口融(福岡通産局長、川口順子の夫)、川原壮介(大臣官房審議官)、関野弘幹(三洋電機専務執行役員、経済企画庁物価局審議官)、西川禎一(日本航空機開発協会副理事長、中小企業庁次長)、小野榮一三菱化学DRM社長、日本航空宇宙工業会専務理事)、山下弘文(日伯紙パルプ資源開発常勤監査役)、窪川功(ジェトロバンコック所長、東武百貨店専務)などがいる。

その他役職

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脚注

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  1. ^ 「月刊官界」1987年11月
  2. ^ 輸出自主規制とは何 Weblio辞書
  3. ^ “国際石開帝石、北村副社長が社長に昇格 黒田社長は会長に”. 日本経済新聞. (2010年5月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL2407F_U0A520C1000000/ 2014年11月13日閲覧。 
  4. ^ 「歴代会長」石油鉱業連盟
先代
山本貞一
資源エネルギー庁長官
1992年 - 1993年
次代
堤富男
先代
松尾邦彦
国際石油開発社長→国際石油開発帝石社長
2005年 - 2010年
次代
北村俊昭
先代
棚橋祐治
石油鉱業連盟会長
2012年 - 2016年
次代
渡辺修