鴛鴦歌合戦

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鴛鴦歌合戦
Singing Lovebirds
Singing Lovebirds 1.jpg
左から片岡千恵蔵、市川春代、志村喬、尾上華丈、深水藤子、遠山満、香川良介、服部富子…
監督 マキノ正博
脚本 江戸川浩二
オペレッタ構成・作詞 島田磬也
製作 日活京都撮影所
出演者 片岡千恵蔵
市川春代
志村喬
服部富子
ディック・ミネ
音楽 大久保徳二郎
撮影 宮川一夫
編集 宮本信夫
配給 日活
公開 1939年12月14日
上映時間 69分 (7巻)
製作国 日本 日本の旗
言語 日本語
前作 清水港 第112作
次作 弥次喜多 名君初上り 第114作
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鴛鴦歌合戦』(おしどりうたがっせん)は、日本オペレッタ時代劇映画である。1939年昭和14年)の日活京都撮影所製作、日活配給作品、日活とテイチクの一連の提携作品のうちの一作である。監督は当時31歳のマキノ正博、のちの巨匠・マキノ雅弘の戦前のトーキー作品である。

概要[編集]

作品が出来るまで[編集]

元来お正月映画用として『弥次喜多 名君初上り』が予定されていたのが、主演の片岡千恵蔵の急病で2週間の休養となり、急遽、ほぼ同じスタッフとキャストで作られた。確かに主役でありながら片岡の出番は巧みに少ない。長屋内と広場のカットをほんの2時間で撮って終了したという[1]。そのかわり、志村喬ディック・ミネが大きくフィーチャーされ、自由度の高い作品となった。

脚本はマキノ監督が「江戸川浩二」名義で執筆し、撮影はのちの名カメラマン宮川一夫、マキノと同い年で当時31歳の宮川は、すでに監督歴13年、本作が113本目の大ベテランのマキノと違い、4年前に撮影技師に昇格したばかりで本作はまだ20本目であった。音楽は服部良一門下の逸材でテイチクレコード専属の大久保徳二郎で、編曲とオーケストラの指揮を執った。テイチク専属の人気歌手ディック・ミネ、および服部の妹服部富子が特別出演。作詞とオペレッタ構成をおこなった島田磬也、および大久保、ミネのトリオは、当時のテイチクのヒットメーカー・チームであった。

「早撮りのマキノ雅弘」にふさわしく、プリプロダクション4日、実撮影期間は1週間ほどで出来あがった[1]。人物名も、俳優の名前を活かしたある意味ではいい加減なものだが、その軽さが映画と合っている。底抜けに明るい世界の映像と音楽とが完璧な調和を見せている。短期間で出来たのが奇蹟であるが、その事実自体に、当時の日本映画の質の高さを窺う事ができる。ありものの江戸のオープンセットと、長屋や屋敷内などのたった数杯のセットのみで撮影され、それがパーマネントでキープできた戦前の撮影所の美術力も重要である。セットの設計は角井嘉一郎である。

モダン時代劇として[編集]

内容は、可憐な町娘と彼女に恋する人々を織りなしたストーリーに、明朗な歌が入るシネオペレッタである。日本でもアメリカのミュージカル映画(『ジャズ・シンガー』、『巨星ジークフェルド』など)やドイツウーファのシネオペレッタ(『会議は踊る』、『ガソリンボーイ三人組』)の影響を受け、トーキー初期から『うら街の交響楽』(監督:渡辺邦男、音楽:福田宗吉古賀政男、1935年、日活多摩川撮影所)、『百万人の合唱』(監督:富岡敦夫、音楽:飯田信夫、1935年、J.O.スタヂオビクターレコード)などの作品がつくられていた。『鴛鴦歌合戦』もその一つであるといえるが、時代劇に設定されている。

本作では、江戸時代の登場人物が当時最先端のジャズに歌い躍る。冒頭部、お富(服部)と若者のコーラスの掛け合い、そして峯澤丹波守(ミネ)が家来たちとスウィングに乗って歌いながら登場するところから、楽しい世界に引きつけられる。当時も、同作を観た宝塚歌劇団高木史朗、音楽評論家の野口久光がわざわざ京都ホテルまで出向き、「これこそ初めての日本のオペレッタ映画だ」と絶賛した[1]

テイチクのシンガー、ディック・ミネ(峯澤丹波守)と服部富子(おとみ)。

本作の原型は、前年1938年(昭和13年)に公開された日活作品『弥次喜多道中記』であるといわれており、マキノ正博監督らスタッフ、および出演者の片岡、志村、香川良介、ミネ、服部らが本作と共通している。しかし、前作に比べて本作『鴛鴦歌合戦』は、歌と台詞がより洗練された形でかみ合っており、格段の進歩を感じさせる出来栄えである。また、ミネの歌う骨董の笛のくだりには、撮影の同年のミネのヒット曲『或る雨の午后』(作詞:島田磬也、作編曲:大久保徳二郎、テイチクレコード)のメロディが、服部富子が市川春代と恋のさや当てを演じる場面では服部の持ち歌『満州娘』のメロディが、それぞれ巧妙にフィーチャーされている。

みなぎる若さ[編集]

志村喬の歌があまりにも上手いので、共演者の名歌手ディック・ミネが真剣に歌手デビューを勧め、実際にテイチクがスカウトに来たという[1]。志村の美声は、戦後1952年(昭和27年)の『生きる』(監督:黒澤明)の主役として、『ゴンドラの唄』を歌う有名なシーンでみごとに生かされた。また、本作の撮影当時の志村はまだ34歳であり、娘役で当時26歳の市川と8歳しかかわらず、「若い殿様」のミネとはわずか4歳差、千恵蔵にいたっては志村よりも2歳上、志村は貫禄の老け役を演じきった。いずれにしてもマキノ監督、宮川カメラマンはさらに若く、当時の日本映画の若さのみなぎる映画となっている。

再評価へ[編集]

公開当時は、正月向け大作の前の小品の娯楽作品として、それほど話題にはならなかった。しかし、1985年(昭和60年)に渋谷パルコ劇場での「マキノ雅裕レトロスペクティヴ」での上映で、公開から45年を経て現代の観客に好評を得て、以来各所で上映されるようになり、1988年にはパイオニアLDCからレーザーディスクが発売された。現代ではオペレッタ時代劇の傑作として評価されている。2005年(平成17年)12月、デジタルリマスタリングされ、「伝説のサムライオペレッタ」の副題でDVD(日活、DVN-125)が発売された。

キャスト[編集]

おとみのとりまき
丹波守の家臣

スタッフ[編集]

あらすじ[編集]

堅苦しい宮勤めを嫌って、貧しくとも気楽に生きる浪人浅井禮三郎(片岡)と、彼を巡って、恋人のお春(市川)、資産家香川屋の娘おとみ(服部)、古い許嫁の藤尾(深水)との三角関係の恋の鞘当て。

骨董狂いのお春の父・志村狂斎(志村)、同じく骨董マニアでお春を見初めるバカ殿・峯澤丹波守(ミネ)、志村と殿様に同一の偽物を売りつけるあくどい骨董商・六兵衛(尾上)、禮三郎に娘藤尾の縁談を進める遠山満右衛門(遠山)、おとみの取り巻き町人連中、バカ殿の陽気な家来どもなどなど、多彩な人物がからむ。

笑いあり恋あり涙ありの物語は、禮三郎とお春とが結ばれるハッピーエンドまで、全編楽しい歌でつづられる[2]

ビデオソフト[編集]

関連事項[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d マキノ雅裕『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』(平凡社、1977年 / 新装版、2002年 ISBN 4582282016)、p.446-450(初版)の記述を参照。
  2. ^ 作詞の島田の没後は現在29年(2007年末現在)で著作権の保護期間にあり、歌詞の引用は不可である。ただし1956年12月31日以前に製作された作品のため、スチール写真等の著作権の保護期間は終了している(commons:Template:PD-Japan-oldphoto/ja参照)。

外部リンク[編集]