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高嶋昌二

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高嶋 昌二
生誕 (1955-05-10) 1955年5月10日(71歳)
出身地 日本の旗 日本・高知県
学歴 香川県立高松高等学校
京都大学文学部
ジャンル クラシック、合唱
職業 合唱指揮者

高嶋 昌二(たかしま しょうじ、1955年5月10日[1] - )は、日本の合唱指揮者、元高校教諭(国語科)。大阪府合唱連盟理事長、関西合唱連盟副理事長。「合唱団ことのは」「混声合唱団うたうたい」など、8団体の常任指揮者。

人物

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香川県立高松高等学校を経て[2]、1979年、京都大学文学部卒。同年より大阪府立淀川工業高等学校(現 大阪府立淀川工科高等学校)国語科教諭として着任[3]。同年にグリークラブを創立。

初心者ばかりの男子高校生を率いて、創立4年目に関西合唱コンクールに初出場し銀賞、9年目に全国大会に初出場し金賞を受賞。それが、全国初の合唱・吹奏楽両全国大会アベック金賞だった。その後、関西合唱コンクール25回金賞受賞。関西代表として全日本合唱コンクール全国大会に17回出場し、金賞11回、銀賞4回など。2001年、文部科学大臣奨励賞[4]をはじめ、特別賞7回。またNHK全国学校音楽コンクール全国大会においても近畿ブロック代表として全国大会出場5回、うち初出場の平成2年度に金賞受賞[5]。

淀川工業高校以外での活動としては、同校の卒業生で編成される合唱団「メンズ・ウィード」を指揮し、1997年・2014年に全国大会金賞・日本放送協会賞[6]。2001年・2002年に同志社混声合唱団こまくさを指揮し、全国大会金賞・文部科学大臣奨励賞[7]。

2006年度をもって淀川工科高等学校を退職、これを機に合唱指揮者として独立する。同校グリークラブの指導は2026年度現在も継続中である。近年は同校での指導など計8団体の常任指揮者ほか、各種講習会での講師や、演奏会での客演指揮、コンクールの審査員を務める。

音楽

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合唱との出会いは高校で「中学校の先輩にむりやりひきずり込まれた」ものであったが、「みんなで力を合わせて、泣いたり笑ったり、悩んだり感動したり、つまりあの年代でしかできない"青春する"ことに泥酔し」たことにより、進学校である高松高校において結局「三年の十二月までクラブを続けた」ほどである。2年時からは教師が「ノータッチ」だったことから「運営、指揮、伴奏と全部自分たちでやって」いた。コンクール四国大会に出場する際に引率教師がいないことから学校側から出場辞退をするよう求められたが、校長・教頭の下に日参して出場を粘り強く交渉しなんとか引率教師を確保してもらった。このときの経験が教師の道を志すきっかけになったとしている[2]。

大学でも混声合唱団に入り、留年も経験したが、大阪府の教員採用試験に合格したことで卒業論文の作成に取り掛かっていたところ淀川工高の校長から採用の連絡を受ける。「当時の工業高校は、どこもあまりいい状態ではなかったらしく」と赴任を躊躇するも、校長は高嶋に、淀川工高は吹奏楽部やラグビー部などクラブ活動が盛んで、その生徒たちを中心に学校が落ち着いていること、より多くの生徒がクラブ活動に参加できるよう今度は合唱部を作ろうと考えているが音楽の教師が採用できないことから合唱経験のある高嶋に白羽の矢を立てた旨を説く。赴任して最初の入学式で吹奏楽部の演奏を聴いた高嶋は「こんな高校生もいるのかという驚きと、いい学校に来れたという感激で」涙を流し、合唱指導に取り組む決意を固める。もし淀川工高以外に赴任して「合唱部がなかったら、それを自分で作ろうとは、音楽の先生への気兼ねもあって、思いもしなかったに違いない」ともしている[3]。

日本語を大切に歌う指導に定評がある[8]。自らを「合唱界の異端」[9]と称し、「淀工の演奏会には合唱界をリードする人、すなわち合唱指揮者、声楽家、作曲家、合唱連盟役員などの姿はあまり見かけない」「淀工の定演はクラシックの演奏会の対極に位置している」「演奏会のコンセプトを簡単に言ってしまえば、『笑いと涙(感動)』である」[10]としている。「楽譜も読めず、やる気も無かった工業高校の男子生徒が、音楽の授業もない学校で、努力の末やっとここまで歌えるようになった[11][12]」ところに感動を呼ぶ点が、高嶋の指導の本質なのである。

エピソード

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ディスコグラフィー

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  • 「ファイト!」(パルスミュージック)
  • 「ファイト!2」(パルスミュージック)
  • 「ファイト!3」(パルスミュージック)

参考文献

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  • 「プログラム・ビルディング 演奏会のコンセプトとしての」『季刊合唱表現』10号(東京電化、2004年11月)
  • 「ポップスを歌う 合唱で楽しむコツ」『季刊合唱表現』24号 p.3~4(東京電化、2008年5月)
  • 「合唱団が映画になった「独立少年合唱団」」『ハーモニー』113号(全日本合唱連盟、2000年7月)
  • 「今こそ歌い継ぎたい名曲13「花に寄せて」」『ハーモニー』160号(全日本合唱連盟、2012年4月)
  • 「昌ちゃんの小姑日記」(『教育音楽』中学・高校版1995年6月号以降の連載記事)

脚注

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  1. 1 2 3 『教育音楽』中学・高校版1995年6月号 p.62-63
  2. 1 2 『教育音楽』中学・高校版1995年11月号 p.60-61
  3. 1 2 『教育音楽』中学・高校版1995年12月号 p.74-75
  4. ↑ 第54回全日本合唱コンクール全国大会全日本合唱連盟
  5. ↑ NコンのあゆみNHK
  6. ↑ 第50回全日本合唱コンクール全国大会全日本合唱連盟
  7. ↑ 第55回全日本合唱コンクール全国大会全日本合唱連盟
  8. ↑ 「今こそ歌い継ぎたい名曲13」p.63
  9. ↑ 「合唱団が映画になった」p.75
  10. ↑ 「プログラム・ビルディング」p.4~5
  11. ↑ 「プログラム・ビルディング」P.5
  12. ↑ この観念が『プロジェクトX ~挑戦者たち~』における行き過ぎた解釈と表現に繋がったものとみられる。
  13. ↑ 「合唱団が映画になった」p.74~75
  14. ↑ 高嶋はプロジェクトに筆頭で関わった人物であるため、事実と異なる内容であることを当然知っているわけであるが、事実と異なる内容であることを出演中に明かすと番組の進行に水を差すことになるため、放送事故への発展を回避するために敢えて肯定的な発言をしたとされる。