飛梅

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飛梅
2月中旬、早春を迎えて満開となった飛梅
9月上旬、晩夏の飛梅

飛梅(とびうめ)は、福岡県太宰府市宰府(旧・筑前国御笠郡太宰府村)にある太宰府天満宮の、神木として知られるの木の名称である。

概要[編集]

樹齢1000年を超えるとされる白梅で、本殿前の左近(本殿に向かって右側)に植えられており、根本は3からなる。太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるとされる。

飛梅は元来、菅原道真の配所(府の南館)跡に建立された榎社の境内にあったが、太宰府天満宮が造営されると本殿前に移植されたといわれている。このほか、後代に道真を祭神とする神社株分けされたものが各地に現存する。

飛梅伝説[編集]

平安時代の貴族・菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・の木・の木との別れを惜しんだ。その時、梅の木に語りかけるように詠んだのが、次の歌である。

東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな
           ───初出。寛弘2- 3年(1005- 1006年)頃に編纂された『拾遺和歌集』巻第十六 雑春。
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
           ───「春なわすれそ」の形の初出と見られる。治承4年(1180年)頃の編纂と考えられる『宝物集』巻第二。
現代語訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。

伝説の語るところによれば、道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした(これを飛松伝説と言う)[1]。一方、ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという。

飛梅伝説の現実的経緯としては、一説に、道真に仕えて大宰府にも同行した味酒保行が株分けの苗木を植えたものとも、道真を慕った伊勢国度会郡(現・三重県度会郡)の白太夫という人物が大宰府を訪ねる際、旧邸から密かに持ち出した苗木を献じたものともいわれている。

道真を慕った梅が飛来したと言い伝えられ、道真が自ら梅を植えたとも考えられるこの飛梅伝説は、他の地方にも見られ、若狭国大飯郡大島(現・福井県大飯郡おおい町大島半島の大島)の宝楽寺、備中国羽島(現・岡山県倉敷市羽島)、周防国佐波郡内(現・山口県防府市松崎町)の防府天満宮などが知られている。

の演目『老松』では、梅の精を紅梅殿とよび、男神女神として擬人化されている。

探訪[編集]

関連事項[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ この松の木は遥かのちの大正年間に落雷が原因で枯れてしまったが、丘の東端にある板宿八幡神社境内社である飛松天神社に株が遺され、「板宿の飛松」と呼ばれている。
  2. ^ もっとも、元来の梅の見ごろは咲き始めの頃であり、桜の花とは違って満開を最良と考えることは少なくとも伝統的ではない。

参考文献[編集]

関連項目[編集]