風間靖幸

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D1ドライバー 風間靖幸
生年月日 1970年2月1日
マシン S14シルビア→S15シルビア
所属チーム 圭オフィス→DG-5→m.o.v.e
初参戦 2001年 第1戦
最高位 シリーズチャンピオン1回(2005年
優勝5回

風間 靖幸(かざま やすゆき、1970年2月1日 - )は、長野県出身のD1ドライバー。O型。

ドリフトテクニックやパフォーマンスなどの多彩なテクニックを持つ選手として活躍し、「ロデオ乗り」などの曲乗りをすることから通称「ワクワクさん」と呼ばれている。D1グランプリにおいて人気選手のひとり。

土屋圭市が立ち上げた自動車パーツ会社圭オフィスの元社員で、D1開催以前からいかす走り屋チーム天国を始めとするドリフト大会などで有名になり、土屋も「ドリフトが上手だから圭オフィスの社員にしたぐらいだ」と話している。

インタビューやブログなどで妻に対するコメントも多く、愛妻家としても知られる。 2005年8月31日に圭オフィスを退社。現在は自身のショップ、RODEXTYLE(ロデックスタイル)にて中古車販売等をこなしながら活動中。2007年度以降のD1グランプリには参戦をしていない。

D1グランプリ[編集]

D1グランプリには初年度の2001年シーズンから日産・シルビアで参戦。当初はなかなか上位に進出できず、シード入りが高い壁となっていた。 2003年も序盤戦は追走トーナメントに進出するものの入賞を逃し、ランキング20位台と低迷する中、第4戦の富士が転機となった。このラウンドでから圭オフィスが投入したニューマシンのシルビアによりスピードのあるドリフトに磨きがかかり、一気にトップコンテンダーへの道を進むことになる。まず富士でシーズン初ポイントを記録すると、続く第5戦のエビスで2位表彰台に上がり、シード入りを果たし、シーズン最終戦までシードを確保した。

2004年開幕戦アメリカアーウィンデールスピードウェイで初優勝を遂げた。続く第2戦菅生でも優勝し2004年シーズンのトップを独走するかに見えたが、第3戦エビスでエンジントラブルにより失速。第6戦の追走1回戦敗退によりシリーズチャンピオンの権利を失い、2004年は4位で終わった。

2005年開幕戦アメリカ・アーウィンデールスピードウェイでは前年と同じく優勝。第2戦お台場でも3位入賞し、さらに第3戦SUGOで二度目の優勝、そして第5戦エビスでシリーズ三勝目をとげ、最終戦の筑波ではランキング2位の末永正雄と準々決勝で直接対決となり風間が先行の二本目、ヘアピンでシフトが入らなくなり失速した風間に末永が突っ込む。風間は敗れる。しかしこの接触の影響で末永は準決勝を出走できなくなり、わずか1ポイントの差でシリーズタイトルを獲得した。

2006年はエントラントが圭オフィスからDG-5に変更となったが、開幕戦のアメリカ・アーウィンデールスピードウェイで優勝。D1初の開幕戦3連勝を遂げた。 2006年第2戦からはavexがスポンサーに付き、エアロとボディーカラーをそれまでの緑から青へ変更。他のトップドライバーに比べると良いとは言えない参戦環境のなかでシリーズ3位を獲得。どんなコースでも常に安定した好成績を誇り、シリーズ終盤にはライバルの野村謙熊久保信重からも評価されていたが、2007年度のD1グランプリは参戦を休止することが表明された[1]

エピソード[編集]

  • 2001年のD1最終戦翌日、ビデオオプションの企画として行われた「D1団体戦」の時にスピンしてパドックに突入し、近くに止めてあった丸山透選手のベンツに接触してしまった。これが由来となって「スピンベンツドカン」と一時期呼ばれていた。
  • 2005年にはBBCの自動車番組トップ・ギア(Series 6 Episode 11)に「トップクラスのドリフターでD1レースドライバーのMr.カザーマー」として出演。三木竜二今村陽一らとドリフトのデモンストーレションや、得意のロデオ乗りを披露した他、リチャード・ハモンドが運転するボクスホール・モナーロVXRに同乗してのドリフト指南と、自身による比較走行をした。モナーロVXRを運転した感想は「グッド・カー」
  • 2005年最終戦の筑波で末永正雄の準決勝敗退のキッカケを作ってしまった風間はすぐに末永とRE雨宮の代表雨宮勇美に謝りに行ったものの

代表・雨宮は怒りおさまらず風間にとっては後味の悪いチャンピオン獲得となった。

  • 2005年 ブリヂストンのCMにF1フェラーリSUPER GTの車両と一緒に登場し、今村陽一との追走走行を全国に披露していた。
  • ドリフトテクニックもさることながら、その人柄の良さからD-DOGシリーズやD to Dなどで講師役を買って出ることが多い。しかし説明が一般受けではない上に擬音語を多用する癖がある。
  • アーウィンデールスピードウェイを得意とし、4戦すべて決勝に進出し3勝を上げている。

脚注[編集]

  1. ^ 理由として、圭オフィスから独立して立ち上げたRODEXTYLEの存在があると思われる。風間選手本人は「せっかく独立してショップも立ち上げたのに、D1関係でスケジュールがいっぱいいっぱいになったら開業した意味がない」と語っている(ドリフト天国の「Dステーション」にて)。

外部リンク[編集]

先代:
2004年
三木竜二
D1グランプリ
シリーズチャンピオン
(2005年)
次代:
2006年
熊久保信重