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須磨 (源氏物語)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
源氏物語五十四帖
各帖のあらすじ
名称 名称
01桐壺 28野分
02帚木 29行幸
03空蝉 30藤袴
04夕顔 31真木柱
05若紫 32梅枝
06末摘花 33藤裏葉
07紅葉賀 34若菜
08花宴 35柏木
09 36横笛
10賢木 37鈴虫
11花散里 38夕霧
12須磨 39御法
13明石 40
14澪標 41雲隠
15蓬生 42匂宮
16関屋 43紅梅
17絵合 44竹河
18松風 45橋姫
19薄雲 46椎本
20朝顔 47総角
21少女 48早蕨
22玉鬘 49宿木
23初音 50東屋
24胡蝶 51浮舟
25 52蜻蛉
26常夏 53手習
27篝火 54夢浮橋

須磨」(すま)は、『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ。第12帖。

あらすじ

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朧月夜との仲が発覚し、追いつめられた光源氏は後見する東宮に累が及ばないよう、自ら須磨への退去を決意する。左大臣家を始めとする親しい人々や藤壺に暇乞いをし、東宮や女君たちには別れの文を送り、一人残してゆく紫の上には領地や財産をすべて託した。 須磨へ発つ直前、桐壺帝の御陵に参拝したところ、生前の父帝の幻がはっきり目の前に現れ、源氏は悲しみを新たにする。

須磨の侘び住まいで、源氏は都の人々と便りを交わしたり絵を描いたりしつつ、淋しい日々を送る。つれづれの物語に明石の君の噂を聞き、また都から頭中将がはるばる訪ねてきて、一時の再会を喜び合った。やがて三月上巳の日、海辺で祓えを執り行った矢先に恐ろしい嵐が須磨一帯を襲い、源氏一行は皆恐怖におののいた。

頭中将の須磨訪問

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頭中将が須磨を訪れた時点では、三位中将から参議を兼ねる「宰相中将」へ進んでいたが、「世の中あはれにあぢきなく」と自らの境遇への不満を語っている[1]。参議は朝議に参加する地位であったが、中納言以上に比べて政務上の権限は限られていた[2]。藤本千織は、この補任を「賢木」で一度見送られた人事が遅れて実現したものとみて、頭中将が中納言または権中納言への直任を期待し、この人事に不満を抱いた可能性を指摘している[3]

この見方によれば、須磨訪問は光源氏への親愛を最大の背景としながら、右大臣家の人事に対する抗議と牽制の意味も持つ。頭中将は須磨で、光源氏が反逆の意図なく暮らしていることを確認し、結果として京の人々にその様子を知らせる「観察者」の役割を果たした可能性がある。訪問の目的を遂げた後に帰京を急いだのは、これ以上「ものの聞こえ」を重ねる必要がなかったためと解されている[4]

須磨巻起筆説

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源氏物語のおこりなどいくつかの古注には『源氏物語』が現在冒頭に置かれている「桐壺」の巻から書き始められたのではなく、この「須磨」の巻から起筆されたとする伝承が記録されている。四辻善成の『河海抄』には村上天皇の皇女選子内親王から新しい物語を所望されて石山寺にこもって構想を練っていたところ、8月15日夜、琵琶湖の湖面に映った月を見て源氏物語の構想を思いついて須磨の巻の「こよいは十五夜なりと思し出でて」と書き始めたとしている。ただし現在では須磨の巻から起筆されたとする伝承は事実に基づくものではないと考えられている[5]

須磨返り

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長編で複雑な内容を有する『源氏物語』を読む際、往々にして全体の約4分の1弱に位置する「須磨」の巻あたりで挫折してしまうことがあり、ここから『源氏物語』を途中で読むのをやめてしまう人を揶揄する「須磨返り」という言葉が生まれている[6]

脚注

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  1. 藤本 2020, pp. 95–98.
  2. 藤本 2020, pp. 99–100.
  3. 藤本 2020, pp. 100–105.
  4. 藤本 2020, pp. 105–107.
  5. 浅尾広良「須磨巻と源氏物語執筆伝説」『源氏物語の鑑賞と基礎知識 須磨』国文学解釈と鑑賞 別冊、2001年(平成13年)11月、至文堂、pp.. 260-266。 ISBN 4-7843-0212-3
  6. 西沢正史 編『源氏物語を知る事典』東京堂出版、1998年、230, 290頁。ISBN 4490104855

参考文献

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外部リンク

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