鈴木重次 (鎌倉時代)

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鈴木 重次(すずき しげつぐ、建久6年(1195年)? - 正嘉2年(1258年8月?)は、鎌倉時代初期の武将豪族穂積姓[1]藤白鈴木氏の当主で、源義経主従・鈴木重家の次男[2]。子に重好[2]

父の重家は源義経に従い衣川館で戦死したが、子の重次は紀伊国にあったとされ、後の承久の乱朝廷方として参加した[2]。『古代氏族系譜集成』によると正嘉2年(1258年)8月に64歳で没したとされる[2]

脚注[編集]

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  1. ^ 宝賀 1986, pp. 1210, 1213.
  2. ^ a b c d 宝賀 1986, p. 1213.

参考文献[編集]

関連項目[編集]