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金井照久

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金井 照久(かない てるひさ、1948年12月20日[1] - 2012年2月27日)は、日本の財務官僚血液型はA型[2]

略歴

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  • 1968年(昭和43年)3月:愛知県立旭丘高等学校卒業。
  • 1972年(昭和47年)3月:東京大学経済学部卒業。
  • 1972年(昭和47年)4月:大蔵省入省(主計局総務課[3]
  • 1975年(昭和50年)7月:大蔵省理財局総務課総合資金係長心得兼理財局地方資金課[4]
  • 1976年(昭和51年)7月:大蔵省理財局資金第一課企画係長[5][3]
  • 1977年(昭和52年)7月:飯田税務署長
  • 1978年(昭和53年)7月:鳥取税務署長。
  • 1979年(昭和54年)7月:大蔵省国際金融局短期資金課長補佐。
  • 1981年(昭和56年)7月:大蔵省主計局主計官補佐(農林水産第二係主査)。
  • 1983年(昭和58年)6月:大蔵省主計局主計官補佐(農林水産第四係主査)。
  • 1985年(昭和60年)7月:大蔵省理財局資金第一課長補佐(運用一)[6]
  • 1988年(昭和63年)6月:石川県商工労働部長
  • 1989年(平成元年)4月:石川県総務部
  • 1991年(平成3年)6月:大蔵省主計局給与課長。
  • 1992年(平成4年)7月:大蔵省主計局主計官(運輸、郵政担当)。
  • 1994年(平成6年)7月:環境庁企画調整局企画調整課長。
  • 1995年(平成7年)6月:理財局資金第一課長。
  • 1996年(平成8年)7月:理財局総務課長。
  • 1998年(平成10年):大蔵省大臣官房審議官。
  • 1999年(平成11年)7月:近畿財務局長。
  • 2000年(平成12年)6月:国税庁調査査察部長。
  • 2001年(平成13年)7月:大阪国税局長。
  • 2003年(平成15年)7月:国土交通省政策統括官。
  • 2004年(平成16年)7月:財務省会計センター所長兼財務総合政策研究所長。
  • 2005年(平成17年)5月:退官。
  • 2005年(平成17年)5月:沖縄振興開発金融公庫副理事長。
  • 2009年(平成21年)5月:沖縄振興開発金融公庫理事長[7]
  • 2012年(平成24年)2月27日:心筋梗塞のため死去[8]。63歳没。

同期入省者

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その他役職

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出典・脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.164
  2. ^ 『日本の官庁,その人と組織:大藏省』政策時報社、1993年発行、48頁
  3. ^ a b 『大蔵省名鑑 1997年版』時評社、1996年12月発行、72頁
  4. ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1976年発行、477頁
  5. ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1976年発行、482頁
  6. ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1987年発行、500頁
  7. ^ 沖縄振興開発金融公庫理事長に金井照久氏 - archive.today(2012年7月15日アーカイブ分)
  8. ^ 金井照久氏が死去 日本経済新聞 2012年2月28日閲覧
先代
松田浩二
沖縄振興開発金融公庫理事長
2009年 - 2012年
次代
譜久山當則