酉陽雑俎
『酉陽雑俎』(ゆうようざっそ)は、中国唐代の段成式による随筆[1]。博物学的知識から奇事異談まで様々な内容を扱う。860年(咸通元年)頃の成立。全20巻および続集10巻。
概要[編集]
書名にある「酉陽」は地名で、現在の湖南省沅陵県の小酉山のふもとをさす。そこに書1000巻を秘蔵した穴が存在するという伝承に則っている。
内容は、神仙や仏菩薩、人鬼より、怪奇な事件や事物、風俗、さらには動植物に及ぶ諸事万般にわたって、異事を記しており、中国の小説あるいは随筆中においてその広範さは一、二を争う。魯迅の愛読書であり、南方熊楠が、プリニウスの『博物誌』と名を比した書としても知られる[2][3]。インドやペルシアなどの海外に関する伝聞も多く記されている。中でも撥抜力国は西南海中にあって「象牙と阿末香(龍涎香)」を産するといい、今のソマリアのベルベラ地方を指すとされる[4]。また、継子いじめ譚である葉限の話はシンデレラと共通性が高い。
テキストの伝世に関しては、不明な点が多く、後集10巻の中には、明代の遺文を蒐集した部分が少なからず含まれるとされる[5]。
撰者の段成式[編集]
撰者の段成式は、時の宰相や剣南西川節度使であった段文昌の子。字は柯古。青州臨淄県の出身。本貫は斉州鄒平県。官は秘書省の校書郎となり、宮中にある秘閣の蔵書に精通していた[6]。その上、段家には蔵書が多く、また、仏典にも詳しかった。江州刺史、太常少卿などの官を歴任した。官を辞してからは、襄陽に居を構え、863年(咸通4年)に没した[7]。
君が代 との関係[編集]
ある寺に置かれた拳ほどの石が、巨石になったとする伝説を載せる。これは、日本国国歌「君が代」の由来とされる、古今集巻第七賀歌343
わが君は千代に八千代にさざれ石のいわほとなりて苔のむすまで
の原案ともなったとされ、君が代との関係が指摘される[8]。
関連文献[編集]
- 今村与志雄訳『酉陽雑俎』全5巻、平凡社東洋文庫、1980-81年、ISBN 978-4582803822。のちワイド版
- 岡本綺堂『中国怪奇小説集』光文社文庫、1994年(原著1935年)。翻案を含む訳書。新装版2006年。ISBN 978-4334741150
- 曾雪梅、段成式「酉陽雜俎校釋」『山東人民出版社』2018年9月。