豊光重信
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豊光 重信(とよひかり しげのぶ、1925年9月28日 - 1962年8月6日[1])は、立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元大相撲力士。元若者頭。本名は和間 重信(わま しげのぶ)(旧姓清水)。現在の大分県中津市出身。183cm、84kg。最高位は東十両18枚目[2]。得意技は右四つ、上手投げ。
経歴
[編集]1941年1月場所に初土俵。1954年3月場所に十両昇進。しかし、連続負け越しで幕下陥落。1957年1月場所に引退し、若者頭に転じた[2]。
主な成績
[編集]- 通算成績:189勝233敗 勝率.448
- 十両成績:10勝20敗 勝率.333
- 現役在位:45場所
- 十両在位:2場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1953年3月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1941年 (昭和16年) |
(前相撲) | x | 新序 0–3 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
西序ノ口6枚目 3–5 |
x | 西序二段74枚目 4–4 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
西序二段49枚目 4–4 |
x | 東序二段36枚目 5–3 |
x | ||
1944年 (昭和19年) |
西序二段5枚目 5–3 |
x | 西三段目25枚目 3–2 |
西三段目5枚目 3–2 |
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1945年 (昭和20年) |
x | x | 東幕下19枚目 – |
東幕下 1–4 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | 国技館修理 のため中止 |
東幕下30枚目 1–6 |
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1947年 (昭和22年) |
x | x | 西三段目16枚目 2–3 |
東三段目21枚目 5–1 |
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1948年 (昭和23年) |
x | x | 西幕下26枚目 4–2 |
西幕下17枚目 3–3 |
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1949年 (昭和24年) |
東幕下15枚目 6–6 |
x | 東幕下14枚目 5–10 |
東幕下20枚目 5–10 |
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1950年 (昭和25年) |
西幕下27枚目 8–7 |
x | 東幕下23枚目 8–7 |
西幕下21枚目 8–7 |
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1951年 (昭和26年) |
東幕下18枚目 8–7 |
x | 東幕下16枚目 5–10 |
東幕下22枚目 5–10 |
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1952年 (昭和27年) |
西幕下30枚目 7–8 |
x | 西幕下31枚目 8–7 |
東幕下25枚目 7–8 |
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1953年 (昭和28年) |
西幕下25枚目 8–7 |
西幕下21枚目 優勝 7–1 |
東幕下13枚目 5–3 |
西幕下4枚目 4–4 |
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1954年 (昭和29年) |
東幕下4枚目 6–2 |
東十両18枚目 7–8 |
東十両20枚目 3–12 |
東幕下2枚目 2–6 |
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1955年 (昭和30年) |
西幕下7枚目 2–6 |
西幕下12枚目 3–5 |
西幕下16枚目 5–3 |
西幕下7枚目 4–4 |
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1956年 (昭和31年) |
東幕下5枚目 3–5 |
西幕下8枚目 2–6 |
西幕下19枚目 1–7 |
西幕下37枚目 3–5 |
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1957年 (昭和32年) |
東幕下42枚目 引退 1–7–0 |
x | x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 和間 重信(わま しげのぶ)1941年1月場所 - 1942年1月場所
- 豊光 重信(とよひかり しげのぶ)1942年5月場所 - 1957年1月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]- ^ 相撲人名鑑(豊光 重信)
- ^ a b ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 豊光 重信 - 相撲レファレンス