諫早市立諫早中学校
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諫早市立諫早中学校 | |
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北緯32度50分5.3秒 東経130度3分33.7秒 / 北緯32.834806度 東経130.059361度座標: 北緯32度50分5.3秒 東経130度3分33.7秒 / 北緯32.834806度 東経130.059361度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 諫早市 |
校訓 | かしこく・やさしく・たくましく |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C142210000437 |
所在地 | 〒854-0044 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
諫早市立諫早中学校(いさはやしりつ いさはやちゅうがっこう、Isahaya City Isahaya Junior High School)は、長崎県諫早市西郷(にしごう)町にある公立中学校。略称「諫早中」(いさはやちゅう)、「諫中」(かんちゅう)。
概要
[編集]- 校章
- 1947年(昭和22年)の開校の際に制定。当時在職していた美術教諭によってデザインされた。雪の結晶の絵を背景にして、中央に「中」の文字を置いている。
- 校歌
- 1951年(昭和26年)に制定。 作詞は清松明善、作曲は岡本俊明による。
- 校区
- 諫早市立諫早小学校・諫早市立上山小学校・諫早市立小栗小学校・諫早市立みはる台小学校校区。
東小路町、高城町、仲沖町、上町、栄町、八坂町、本町、東本町、旭町、厚生町、幸町、八天町、西郷町、新道町、立石町、上野町、野中町、船越町、原口町、西小路町、宇都町、小ヶ倉町、小川町、鷲崎町、川床町、平山町、土師野尾町、栗面町、小船越町の一部[2]
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 1951年(昭和26年)1月 - 校歌を制定。
- 1953年(昭和28年)5月 - 校旗を制定。
- 1955年(昭和30年)3月 - 現在地に新校舎が完成し、移転を完了。小学校との併設を解消。
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)5月 - 同窓会からの寄贈で校門が完成。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 特殊学級を開設。
- 1966年(昭和41年)7月 - プールが完成。
- 1985年(昭和60年)3月 - 新校舎が完成。
- 1987年(昭和62年)11月 - 創立40周年を記念して学校銘「啐啄」の碑を設置。
- 1993年(平成5年)
- 2月 - 校門を拡張。
- 3月 - パソコン室を設置。
- 1998年(平成10年)9月 - 屋内運動場・屋内プールが完成。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 女子の夏服を改定。
アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 長崎県営バス「農高前」
- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 諫早市立諫早幼稚園
- 諫早市立小栗小学校
- 長崎県立諫早農業高等学校
- 南諫早郵便局
- 本明川
著名な出身者
[編集]スポーツ
[編集]バレーボール
[編集]- 岩永麻里江
- 宇田沙織(指導者:金沢学院大学附属中学校バレーボール部監督)※現姓:石坂
脚注
[編集]- ^ 禅語の「啐啄同時」という言葉に由来している。「啐」は鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついてたてる音を表す。「啄」は、その音に対して、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破ることを意味する。「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれるというのが「啐啄同時」の意味である。師匠と弟子、教師と生徒、親と子の関係がこれによくたとえられている。
- ^ 諫早市立小・中学校の通学区域に関する規則 - 諫早市教育委員会ウェブサイト