西暦紀元

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Anno Domini」と書かれた大聖堂の碑文(オーストリアケルンテン州)

西暦紀元(せいれききげん、羅: 英: anno Domini[注 1][1][2]しばしば「AD」と書かれる)および西暦紀元前(英: before Christ[注 2]、しばしば「BC」と書かれる[3][4][5])といった言葉は、ユリウス暦グレゴリオ暦の年を呼んだり数えたりする際に使われる。西暦紀元を意味する中世ラテン語「anno Domini」は「その年の主」を意味する[6]のだが、多くの場合、元々の語源の句である「anno Domini nostri Jesu Christi」からそのまま意味を抜き出して「その年の主」の代わりに[7][8]「その年の救世主イエス・キリスト」と訳される。

西暦紀元は、イエス・キリストの受胎告知が起こった年に基づいており、ここでいう紀元(AD)という言葉は、ある新紀元の始まりから後の年代を意味する一方、ここでいう紀元前(BC)は紀元より昔の年代を示している。この制度に0年は存在しないため、紀元1年は紀元前1年の直後となる。西暦紀元という制度はディオニュシウス・エクシグウスによって、525年に発明されたのだが、それは800年になるまではあまねく採用されることはなかった。[9][10]

グレゴリオ暦は、今日世界で最も広く取り入れられている暦である。何十年もの間、グリゴレオ暦は非公認の暦法として用いられてきたわけなのだが、それは国際的なコミュニケーションの実用的な利益、運輸、商業的な併合等にも導入された上、過去に国際的な制度として国連に認定されたこともある。[11]

伝統的に、英語では年数の前に「AD」という略語を置くことにより、ラテン語の語法に従った[注 3][12]。しかし、「BC」は年番号の後ろに配置され(たとえば、AD 2018、68 BC)、構文上の順序も保持される。「AD」という略語は「第4世紀AD」や「2千年紀AD」のように世紀 (millenium) といった言葉の後にもしばしば用いられる。「BC」という略称はキリストの生れる前という意味をもつ (Before Christ) が故に、「AD」という略称は死後、すなわち「キリストの死後」を意味すると、時々不正確に結論付けられることがある。しかしながら、これは一般的にイエスの生活に関係する約33年間が、紀元前にも紀元にも含まれないことを意味する。[13]

歴史[編集]

西暦紀元は525年、ディオニュシウス・エクシグウスによって、復活祭の一覧表の中の年を数え上げるために考案された。彼の制度は、昔の復活祭の一覧表にて採用されていた、ディオクレティアヌス紀元の代わりに採用するために考案された。なぜなら、彼はクリスチャンを迫害英語版した暴君としての記憶を続けさせたくないからなのであった。[14]古い一覧表の内最後の年ーディオクレティアヌス紀元だと247年であったーの次の年は急遽、彼が考案したシステムにおける最初の年ーA.D.532年ーとなった。ディオニュシウス・エクシグウスが西暦紀元を発明したとき、その年に就任した執政官の名前をつけることによってユリウス暦は見分けられた。彼にとって西暦紀元を発明した際の「現在の年」は「イエス・キリストの托身」から525年後のことである、プロブス英語版という統領が就任した年であった。[15]かくしてディオニュシウスは、キリストの懐妊及び誕生が起こった年を特定することなく、主の受肉は525年前に起こったことを暗示したのである。

音楽学者ボニー・J・ブラックバーン英語版博学者レオフランク・ホルフォード・ストレヴン英語版はディオニュシウスがキリストの降誕及び受肉を意図した年として、紀元前1・2年または紀元1年の議論について述べている。こういった混乱の原因には、[10]

  • 現代において、「受肉」という言葉は「受胎」という言葉とほぼ同じ意味をなしているが、ベーダ・ヴェネラビリスをはじめとする古代の作家たちは、「受肉」と「(キリストの)生誕」は一緒であると述べている。
  • 一般市民・執政官による年は、通常1月1日より始まるが、ディオクレティアヌス紀元では1月29日から(ユリウス暦でうるう年の場合は1月30日から)スタートする。
  • 領事をまとめたリストには多少誤りがあった。
  • 皇帝たちの任期(年)の統計は常に混乱していた。

などが挙げられる。

ディオニュシウスがいかにしてキリストが生れた年を制定したのかは定かではない。二つの主要な理論は、ディオニュシウスが、イエスは「ティベリウスの支配から15年後を経過」した際、「約30歳」であったことをルカの福音書から判断した後、当時の年代から30年を引き算するもしくはキリスト紀元の最初の年から532年を数えたことを示唆している。[16][17]

ブリュッセル自由大学の講師Georges Declercqは、[18]ディオニュシウスがディオクレティアヌスが生み出した紀年法を、受胎告知に基づいた紀年法に差し替えようと意図したのは、人民が今にも起きそうな「終わりの時」の存在を信じることをやめさせようという理由からであったと推測している。その当時、及び終わりの時は、キリストの生誕から500年を迎えた際に起こると信じられていた。旧式の世界紀元英語版といった暦法は、理論的に、旧約聖書から判明する世界創造の時から始まっている。6000年を終わりの時とみなしていた世界紀元(Anno Mundi )の暦に基づいて、イエス・キリストは5500年(つまり世界が創造されてから5500年後)に誕生したと信じられていた。[19][20]世界紀元6000年(およそ紀元500年ごろ)はかくのごとく死者の復活及び世界の終わり[21]が起こった年と同様に考えられたわけだが、世界紀元はのちにディオクレティアヌスの時代区分に変更された。

大衆化[編集]

サンピエトロ大聖堂(バチカン)にあるカール大帝の像(アゴスティーノ・コルナッチーニ英語版作)。カール大帝はカロリング帝国中に西暦紀元の慣習を奨励した。

アングロ・サクソン人歴史家であるベーダ・ヴェネラビリスは、彼が731年に著した書籍「イングランド教会史」において、キリスト紀元の日付を採用した。またそのころ彼は、「ante vero incarnationis dominicae tempus anno sexagesimo(主の化身の60年前)」という英語の「Before Christ」と同意義のラテン語を、キリスト紀元の最初の年を見分けるために使用した。[22]ディオニュシウスとベーダは、「Anno Domini」という言葉をイエスの化身の始まりとみなしたわけだが、「キリストの化身と降誕の区別は、いくつかの場所で、主の化身の暦が受胎告知の暦と見分けるために採用されていた時代である9世紀後半迄描かれていなかった」。

ヨーロッパの大陸では、8世紀後半に、英国の学者兼聖職者であるアルクィンによって、カロリング朝ルネサンスを選択するものとして、キリスト紀元は導入された。カール大帝とその後継ぎがカロリング帝国中にキリスト紀元の使用を大衆化し、またそれを広めようとすることによるその支持は、結局はシステムの普及の核心に位置している。カトリック百科事典によれば、教皇はしばらくの間、御代の年に沿って文書を更新し続けていたが、やがて11世紀から14世紀にわたってローマカトリック諸国では、西暦紀元は一般的に取り入れられるようになった。[23]1422年、ポルトガルがついに最後の西ヨーロッパの国となり、ディオニュシウスがはじめた制度に切り替わった。[24]東方正教会の国々は1700年になると、世界創造紀元を西暦紀元で代替し始め、やがて他の国々は19世紀から20世紀の間でそれを採用し始めた。

西暦紀元は9世紀まで広く利用されていたが、「紀元前」という言葉及びそれと同意義の言葉はそれより後になるまで一般的に使われることはなかった。ベーダ・ヴェネラビリスは、"anno igitur ante incarnationem Dominicam" (主の化身の前の年に)という言葉を2度使用した。"Anno an xpi nativitate"(主が生れる前の年に)という言葉が使われたのは、ドイツ人修道士によって1474年に使われたのが最初であった。[25]1627年には、フランスのイエズス会士の神学者によって、「ante Christum(ラテン語で"西暦紀元前”の意)」という西暦紀元(AD)より後の時代を表す言葉が世間一般に広まった。[26][27][28]

年の変わり目[編集]

西ヨーロッパにて旧式の日付を記す制度が、イエスの化身を基にしたシステムに打って変わった際、多くの人々が年の始まりをクリスマス、受胎告知及び復活祭などといった、キリスト教の祝祭日以外の日付に選んだ。このように、時代や地域次第で、年代それぞれの日付はまた異なるのだが、それは年代学的にはやや違った方式である。[29]

  • AUC753年(現在の紀元1年)の3月25日は、すなわち、概念上にはイエスの化身が起こった日付となる。史上初の「受胎告知方式」だったこの暦法は、アルルにて9世紀末にみられたものであり、それからやがてブルゴーニュ地方及びイタリア北部に広まっていった。一般的にはその制度は用いられなかったが、ピサでそれが採用されて以来1750年まで残存した当時は、「calculus pisanus」という呼び名で知られていた。
  • AUC753年の12月25日は、すなわち、概念上ではキリストが生誕した日付となる。その暦法は、「キリストの降誕方式」と呼ばれたのだが、それは中世紀の前半に、ベーダ・ヴェネラビリスによって広められた。クリスマスから計算し始めるこの制度は、フランスイングランド及び、多くの西側ヨーロッパの国々(スペインを除く)にて、12世紀まで(正確には、受胎告知方式に変更されるまで)採用され続けた。例外としてドイツの場合は、13世紀の四分の一程まで取り入れられた。
  • AUC754年の3月25日ーそれは、二つ目の「受胎告知方式」であったーは、フルーリー修道院英語版にて11世紀前半に考案されたという説があるが、その暦法はシトー会修道士によって広められた。フィレンツェはその暦法を、ピサで導入された暦に対抗するために「calculus florentinus」という名前で採用した。それはやがてフランスやイングランドにおいてもーそこでは12世紀後半から1752年まで持続したのであるがー使われた。
  • AUC754年の復活祭ーそれは「mos gallicanus(フランス方式)」と言われ、移動祝日と結びついていた-は、フィリップ2世によってフランス中に広められた。しかしながら、それは優勢な選ばれた人々以外には広まらなかった。

こういった方式を採用すると、同じ日が1099年、もしくは1100年及び1101年になることもありえる。

歴史的なキリスト誕生日[編集]

ナザレのイエスが誕生したとされる正確な日付は、福音書及び世俗の文献では言及されていないが、多くの学者は紀元前6年~4年ごろであると仮定している。[30]歴史的な証拠は、最終的な日付を記入するにはざっくりとしているものの、[31]日付は二つの手引によって判断される。一つ目は、ルカマタイによる福音書で判明する、キリストの生誕についての事柄についての分析である。二つ目は、公生涯が始まった推定年に関連したことである。[32][33]

他の紀元[編集]

クリスチャンの時代として知られると今後予想される6世紀の間、ヨーロッパの国々は様々な方法で年を数え上げた。その方法は、執政官の日付英語版や帝国の御代の年英語版を数えるやり方、及び世界紀元英語版も含んでいた。しかしながら、史上最後の帝国のではない執政官であるバシリウス英語版は、541年に皇帝のユスティニアヌス1世によって任命されたのだが、その後の皇帝たちはコンスタンス2世を通して、1月1日に執政官に任命された。それらすべての(ユスティニアヌス1世を除いた)皇帝たちは彼らの統治の年の間、帝国の執政官の後の年を、御代の年として利用していった。[34]

400年になると、西暦でいう9年の3月25日を受胎告知が起こった日とする、別の計算方式がアレクサンドリアの修道士であるアナイアナス英語版によって開発された。しかしながら、この制度ーそれは受胎告知暦と名づけられたーは東ローマ帝国の時代の初期には、世間一般のものとなり、エチオピアでも即座に用いられた。これは、グレゴリオ暦とエチオピア暦との間に7、8年程の不一致が生じることを説明している。聖マクシモスジョージ・シンセルス英語版聖テオファネス英語版などといった東ローマ帝国の年代記編者は、アナイアナスの暦法を元に彼らの年を記録した。この暦は世界紀元といわれるが、現代の学者は、その最初の日付を紀元前5492年の3月25日としている。のちのビザンティン帝国の年代記編者は、世界紀元の最初の日付を紀元前5509年の9月1日とする、世界創造紀元という独自の制度を採用し始めた。世界紀元が採用されていた時代は、キリスト教国英語版全体で優勢的であったわけではない。

一方で、スペインポルトガルスペイン暦英語版を未だに使用し続けていた。だが1422年、ポルトガルは世界紀元を採用していた史上最後のカトリック国家となった[35]

ディオクレティアヌスが即位した年(即ち284年)ーその年は、クリスチャンの最後ながらも最も過酷な迫害が起こった年だったーを基準に数え始めるディオクレティアヌス紀元は、公式にはコプト正教会及びコプトカトリック教会英語版によって使用されている。それは、エチオピアの教会でも使用された。かつてヒッポリュトステルトゥリアヌスによって、紀元前29年に起こったと信じられていたキリストの磔刑を基準に日付を数える制度も、中世の写本にみられた。

西暦と紀元前[編集]

時代の流れに沿って、西暦紀元(Anno Domini)は、vulgaris aerae(ラテン語・1615年)、[36]"Vulgar Era" (英語・早くも1635年頃)、[37]"Christian Era"(〃・1652年)、[38]"Common Era" (〃・1708年)、[39]"Current Era"(〃)[40]といった様々な別名が広まっていった。1856年になると、[41]CEやBCEといった略称ーそれらは、時々C.E.やB.C.Eとも書かれるーが、AD・BCという言葉の代わりに使われるようになった。

"CE"("Common/Current Era")の用語は、宗教的な言及を明確にしていない言葉を望む人々にしばしば好まれる。[42][43]それらの用語が発足した際、中華民国民国紀元を採用したが、公式な目的では西洋の暦が使用された。当時、「西暦("Western Era")」が翻訳された言葉は「西元 ("xī yuán")」であった。その後、1949年に中華人民共和国は国内外にかかわらずすべての目的において「公元」ーそれは共通紀元("Common Era")を意味するーを取り入れた。

0年の存在/世紀の始まりと終わり[編集]

キリスト紀元のシステムでは、ユリウス暦及びグリゴレオ暦のどちらを採用しているにもかかわらず、AD1年の1つ前の年はBC1年となる。普通それらに「0年」というものは存在せず、その為、新しい世紀は後ろの桁に「01」と付く数の年より開始する(例えば、1801年、1901〃、2001〃など)。新しい千年紀も同様に、1001年及び2001年より始まったと考えられている。この考えは、世紀・千年紀は末尾の数字が0のときに始まる(1800年、1900年、2000年など)という、より一般的な概念とは相反する。例えば、千年紀のお祝い英語版は2000年に最も近い1999年の大晦日に行われることも少なくない。[44]

しかし、コンピュータ上の理由で、天文学上の年の数え方やISO 8601は、紀元1年=1年、紀元前1年=0年、紀元前2年=-1年[注 4][45]と称されることも存在する。

一般的な使用法では、古代の日付はユリウス暦で表されるが、ISO 8601はグリゴレオ暦を使用しており、天文学者は、アプリケーション次第によって様々な日付の尺度を用いる。このように、0や負の数で示される年は、BC及びADに変更される以前の時代に関する調査を必要としているように思われている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ''anno''という言葉はしばしば大文字で書かれるが、これは正しくないと多くの当局によって考えられている。一般的な辞書にはそのように書かれていない、もしくは代替的なものとしてリストに記載されているのみである。
  2. ^ "before"という言葉はしばしば大文字で書かれるが、これは正しくないと多くの当局によって考えられている。一般的な辞書にはそのように書かれていない、もしくは代替的なものとしてリストに記載されているのみである。
  3. ^ このしきたりはその文法的な用法に基づいている。例えば、''Anno 500''は「500年の間」を、anno domini 500は「救世主の500年間」を意味する。単に「その年の500年」と訳すのは英語の構文法上よろしくない。しかし、''500 AD''とせずに''AD 500''とおけば、翻訳された際に正しい文法的な順序が守られる
  4. ^ 紀元前の年を天文学で用いる数字に変換するには、その年の絶対値を1減らし、(結果に0がない限り)後ろに負の記号を付ける。ADの場合、「AD」という文字を省いた後、数に正の記号を付ける(もし0年よりも後の時代であることがわかっているのであれば、+をつけるかつけないかは任意である)。

参考資料[編集]

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