西井香春

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にしい こうしゅん

西井 香春
生誕 西井 郁子(あやこ)
(1944-05-16) 1944年5月16日(79歳)
中華人民共和国の旗 中国内モンゴル自治区
国籍 日本の旗 日本
職業 料理研究家僧侶
親戚 岸恵子
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西井 香春(にしい こうしゅん、1944年5月16日 - )は、日本料理研究家竹之御所流精進料理継承者。西井 郁(にしい あや)名義で、フランス料理研究家としても活動する。

来歴[編集]

中国内モンゴル自治区生まれ。神奈川県横浜市で育つ。

14歳で母を亡くし、16歳のときに従姉妹で女優の岸恵子を頼って単身渡仏。彼女と当時の配偶者である映画監督イヴ・シャンピの自宅で過ごす。

大勢の来客がある岸夫妻の自宅には、フランス人シェフが複数常駐しており、フランス料理の最高峰とされるフランス家庭料理の基礎をそこで習得。[1]

その後は、より体系的な料理・製菓の知識を身につけるべく、1895年創立の名門料理学校『ル・コルドン・ブルー』や、世界的パティシエガストン・ルノートル氏が設立した『エコール・ル・ノートル』に進み、両校をともに首席で卒業した。[2]

1983年、40歳を前にして帰国。まだ「西洋料理」という呼び名が主流だった当時の日本では珍しい「フランス家庭料理」の専門家としての活動を開始。

「西井郁」名義で、料理番組『きょうの料理」にレギュラー出演[3]したほか、日本における食用ハーブの認知度向上にも大きく貢献。レシピ本はもとより、世界各国を巡って各国のハーブを紹介するエッセイ連載も好評を博す。

また、各種メディアでの活動と並行して、東京・六本木を拠点としたフランス料理教室『ポ・ト・フー』や、フランスの食文化研究も兼ねたサロン形式のワイン会なども主宰。その活動には、資生堂KIRINカネボウといった大手メーカーも多数スポンサーとして名を連ねた。

1993年、50歳を迎えるのを機に、長い海外生活のなかで機会を逸した「文化としての日本料理」を学びたいと、一念発起で精進料理に転向。日本で唯一、竹之御所流精進料理を継承する東京・武蔵野市の尼寺・三光院で知遇を得て、二代目住職兼料理長である星野香栄禅尼の弟子となる。

同年、三光院の出自でもある京都・嵯峨野の尼門跡寺院・曇華院に、香栄禅尼とともに上院。同氏より実質的な後継指名を受け、以後は、「香」の字を引き継いだ僧名「香春」を名乗っている。

現在は、『NHK学園』のオープンスクールで精進料理講師を長く務めるほか、文化事業の一環として『三光院サロン』も創設。数多の著名人を招いて講演会やワークショップ、音楽会を定期的に開くなど、三光院で行われる事業の総責任者として精力的に活動中。[4]

竹之御所流精進料理[編集]

皇族や公家出身の姫宮が代々住職を務め、「竹之御所」の御所号も持つ京都・嵯峨野の「曇華院」で、660年以上前の室町時代から受け継がれてきた精進料理の流派の一つ。皇女のための尼寺料理として独自に発展してきた背景から、五感すべてに訴えかける気品と華やかさを併せもつ。また、一般的な精進料理とは異なり、料理そのものに出汁は使わず、いわゆる「もどき料理」も存在しない。「料理はできたてが一番美味しい」との価値観から、調理しながら一皿ずつ提供されるのも大きな特徴となっている。[5]

出演番組[編集]

雑誌連載[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第1回 フランス料理研究家から精進料理の後継者へ”. かもめの本棚 online. 2023年11月30日閲覧。
  2. ^ 【朝めし自慢】西井香春(三光院料理長・76歳)「少女の頃の思い出の味、納豆を欠かしません」”. サライ.jp (2020年10月6日). 2023年11月30日閲覧。
  3. ^ 西井 香春さん|NHK「きょうの料理」で放送のおいしい料理レシピをおとどけ!”. みんなのきょうの料理. 2023年11月30日閲覧。
  4. ^ 最終回 御所ことばを精進料理に残す”. かもめの本棚 online. 2023年11月30日閲覧。
  5. ^ 竹之御所流精進料理とは ”. 臨済宗 泰元山 三光院. 2023年11月30日閲覧。

外部リンク[編集]