藤川晋之助

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藤川 晋之助(ふじかわ しんのすけ、1953年 - )は、日本選挙プランナー、元政治家大阪市会議員(2期)、減税日本選挙対策事務局長・東京本部事務局長・政策顧問、東京維新の会事務局長などを歴任。参謀役を務めた選挙は141戦11敗であるとされ、「選挙の神様」とも呼ばれる[1]

来歴[編集]

大阪市出身。1969年に発生した東大安田講堂事件をきっかけに政治に目覚め、大学卒業後23歳で自民党田中派の代議士秘書となる[2]

1991年37歳で自民党から大阪市会議員に初当選する(当時は藤川基之名義)。その後自民党を離党し小沢一郎率いる新生党に参加[2]。2期目途中の1996年第41回衆議院議員総選挙大阪6区から旧民主党公認で立候補するが落選。1998年4月には三重県名張市の市長選挙に立候補したが、現職の富永英輔に敗れ落選[3]し、政治家の道を断念する[2]

その後インドネシアで事業を手掛けたが、アチェ紛争で帰国。民主党に合流していた小沢に選挙の手伝いを要請され、永田町に戻る[2]2009年第45回衆議院議員総選挙では、群馬4区三宅雪子陣営に入り、盤石の地盤を持つ福田康夫元首相を猛追した[2]。要請に応じて民主党のほかみんなの党の選挙参謀も務め[2]2012年には減税日本の選挙対策事務局長・東京本部事務局長・政策顧問を務めた[4]2019年埼玉県知事選挙では、野党候補の一本化に尽力した[2]2017年からは東京維新の会(日本維新の会東京都総支部)の事務局長を務め、2022年第26回参議院議員通常選挙後に退職。この間、当初0人だった東京での維新の国会議員を比例代表を含め5人へと躍進させた[2]

2022年11月、「藤川選挙戦略研究所」を設立[2]

脚注[編集]

  1. ^ “日本で唯一の首長予備校 開設”. 毎日新聞. (2023年4月30日). https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230426/pol/00m/010/010000c 2023年6月30日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i “141戦してわずか11敗…「選挙の神様」が残りの人生を政界再編に掛ける理由”. 東京新聞. (2022年12月22日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/221332 2023年6月30日閲覧。 
  3. ^ “名張市長選(1998年4月12日)”. 中日新聞. (1998年4月12日). https://www.chunichi.co.jp/article/5676 2023年6月30日閲覧。 
  4. ^ 平成24年度 役員 | 減税日本