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菊池仁康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きくち にこう
菊池 仁康
生誕 (1895-05-29) 1895年5月29日
日本の旗 日本 青森県北津軽郡板柳村
(現・同郡板柳町
死没 (1967-09-14) 1967年9月14日(72歳没)
日本の旗 日本 青森県北津軽郡板柳町
出身校 東京外国語学校ロシア語科[1]
職業 大蔵省職員
菊屋百貨店社長
板柳銀行頭取
青森銀行取締役
著名な実績プーシキン全集」の翻訳
親戚 葉梨新五郎(妹・加津の夫、代議士[2][3]
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菊池 仁康(きくち にこう、1895年明治28年〉5月29日[4] - 1967年昭和42年〉9月14日[4])は、大正から昭和中期の青森県実業家ロシア文学者実業家としては板柳銀行頭取を務め、合併後の青森銀行では取締役となったほか、菊屋百貨店社長としても活躍した。

その一方で、ドストエフスキープーシキンの翻訳を行うなどロシア文学者としても知られ、詩人福士幸次郎の地方主義運動に参加するなど文化人としても足跡を残した。

来歴・人物

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青森県北津軽郡板柳村(現・同郡板柳町)出身。父・菊池仁了[注釈 1]、母・たか[6]の長男として生まれる[4](旧制)県立青森中学校卒業後、上京し、明治大学政治経済科を中退した後、ニコライ露西亜神学校東京外国語学校(現・東京外国語大学)でロシア語を学ぶ[4]

1919年(大正8年)から税務署に勤務したが、1922年(大正11年)母・たかの死去により帰郷。板柳銀行[注釈 2]行員となり、1926年(大正15年)には同行常務取締役に就任した[4]

1935年(昭和10年)10月1日青森市に菊屋百貨店を開設し、社長に就任。1943年(昭和18年)10月1日板柳銀行が旧青森銀行、第五十九銀行、津軽銀行、八戸銀行と合併し、青森銀行となった際にはその取締役に就任した[8]

露西亜新聞社政治部に在職中、『ドフトエフスキイ全集』をロシアから取り寄せ、小説『白痴』の翻訳に没頭した[4]。また、1922年(大正11年)1月にプーシキン、トルストイチェホフを含むロシア文学史を代表する21名の著作を集めた『露西亜二十一人集』(善文社)の翻訳を行い、1936年(昭和11年)から1937年(昭和12年)には『プーシュキン全集』(ボン書店)を翻訳を手掛けたほか、1921年(大正10年)1月に『ゴオルキイ全集第5巻』(日本評論社)の翻訳にも参加するなどロシア文学者としても活躍した。

こうしたロシア文学者としての活動については遺族が発見した原稿青森県近代文学館に寄贈)などの資料を用いて2010年平成22年)1月16日から2010年(平成22年)3月22日に「新収蔵資料展 ― ロシア文学者 菊池仁康 ―」という展覧会として一般にも公開された。

関東大震災で被災し、東京から1917年(大正6年)12月末に帰郷した詩人福士幸次郎は、板柳町の菊池仁康宅に一時身を寄せた。1924年(大正13年)1月[9]には福士が「地方文化パンフレット発刊の趣意書」(菊池との連名)[10][注釈 3]を公にして地方主義思想の実現に取り組む中、1926年(大正15年)年2月発表の「地方主義の行動宣言書」に石坂洋次郎らとともに菊池も名を連ねる[12]など、福士の活動を支援したことでも知られている。また、仏像などのコレクターとしても有名であった[13]

1967年(昭和42年)、板柳町で腸閉塞により死去[4]72歳没

主な翻訳書

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  • 『露西亜二十一人集』善文社、1922年1月。 
  • 『プーシュキン全集 第一巻』ボン書店、1936年9月1日。 
  • 『プーシュキン全集 第二巻』ボン書店、1937年1月10日。 
  • 『ゴオルキイ全集第5巻』日本評論社、1921年1月31日。 

脚注

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注釈

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  1. 父の菊池仁了は、町制施行後の二代目の町長を務めた[5]。なお、仁了は菊池家の先代の仁候(誕生名:永吉、菊池永助の長男)の実子でなく、元は父を同じくする弟(永助次男)であり、家を継ぐにあたって兄・仁候の養子となったとみられる[6]
  2. 板柳銀行は、伯父(戸籍上の続柄は養祖父)の菊池仁候が1900年(明治33年)に創立した[4][7]
  3. 地方文化社は、福士幸次郎が菊池仁康とともに創設した[11]

出典

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  1. 「入學許可」『官報』2325号、内閣印刷局、1920年5月5日、97頁。NDLJP:2954438/5
  2. 人事興信所 編『代議士録』人事興信所、1946年10月25日、136頁。NDLJP:2989774/81。「妻加津(明治四十一年二月生、青森縣菊池仁康妹、弘前高女出身)」
  3. 人事興信所 編『人事興信録』(第16版 下)人事興信所、1951年11月15日、は之部5頁。NDLJP:2997929/187。「菊池仁了二女」※なお、別出典の『人事興信録』第4版にある「菊池仁候」の項目では、菊池仁了の二女でなく三女と記載。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 菊池仁康”. 青森県立図書館ウェブサイト. 青森県近代文学館. 2026年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年6月2日閲覧。※ "トップページ>近代文学館>青森県の文学について>青森県ゆかりの作家" の階層にあるPDFファイル参照。
  5. 青森県人名事典編さん室 編『青森県人名大事典』東奥日報社、1969年4月20日、174頁。NDLJP:12188662/94
  6. 1 2 人事興信所 編『人事興信録』(第4版)人事興信所、1915年1月10日、き之部40頁。NDLJP:1703995/890
  7. 青森銀行史 1968, p. 915.
  8. 青森銀行史 1968, pp. 524–525.
  9. 福士幸次郎”. 青森県立図書館ウェブサイト. 青森県近代文学館. 2025年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年6月2日閲覧。
  10. 『地方文化パンフレット』1号、地方文化社出版部(青森県北津軽郡板柳町)、1924年5月。CRID 1970023484941026051
  11. 「よみうり抄」『新聞集成 大正編年史』(14年上ノ下巻)明治大正昭和新聞研究会、1987年8月20日、788頁。NDLJP:12229240/416。「福士幸次郎氏菊池仁康氏と共に青森縣で地方文化社を創設、「地方主義」を七月一日創刊す」
  12. 清藤碌郎『文壇資料 津軽文士群』講談社、1979年11月26日、67-68頁。NDLJP:12502099/38
  13. 板柳町誌 1977, p. 622.

参考文献

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