荒崎 (沖縄県)

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座標: 北緯26度04分30秒 東経127度40分51秒 / 北緯26.07500度 東経127.68083度 / 26.07500; 127.68083

喜屋武岬から望む荒崎

荒崎(あらさき[1])は、沖縄本島最南端に位置するである。

地理[編集]

沖縄県糸満市束里(つかざと)に属し[2]喜屋武岬から東南東約1.4kmに位置する[3]。一般には喜屋武岬が沖縄本島最南端と思われがちだが、当岬が実際の最南端である[4][5]。海岸一帯は隆起サンゴ礁琉球石灰岩)から成り、高さ約7mの海岸段丘崖が東西に形成されている[2]。荒崎の西側は高さ最大35mの海食崖を成し、周辺海域は幅の狭いサンゴ礁が発達している[6]。また荒崎と宮古島東平安名崎を結ぶ線は東シナ海太平洋フィリピン海)の境界線として定義される[7]

植生に関しては、陸側へ近づくにつれ草本植物から木本植物へと変化し、植物の種類と量が増していく。クサトベラモンパノキの群生はアダン群落の海側に生育し、荒崎の独特な植生を呈している。他に植林されたモクマオウギンネムの木々が生い茂る[8]

観光客にとって喜屋武岬よりも有名でない上に、国土地理院発行の地形図に荒崎へ通じる道路は表記されていない。周囲は畑地ごみ焼却施設のみで、荒崎へ向かうには雑木林が繁茂する草道を分けて渡るしか他は無い[3][9]

喜屋武岬周辺の空中写真。画像中央付近の南端の岬が沖縄本島最南端の荒崎。その左上(西北西側)の波打ち際に大きな岩が複数ある地点が喜屋武岬。1977年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。


歴史[編集]

ひめゆり学徒散華の跡

方言で「アラサチ」という。由来は諸説あるが、「アラ神(海神)が降り立つ崎(先)」ともいわれる。バジル・ホールの航海記とペリー艦隊遠征記に見られる「サウス・ポイント (South Point)」は喜屋武岬と荒崎全体を含む場所と思われたが、「70フィート(約21m)以上の崖」と「波蝕による無数の洞穴が存在する」という記述、また地図として描かれた海岸線の形状と経緯度から、荒崎のみを指す地名ではないかと考えられる[2][6]

琉球国由来記』には、ニライカナイの神を祀った御嶽があるとされ、周辺集落では旧暦4月に荒崎から遥拝している。荒崎にある「ハナフギイベ」という岸から、悪声を放って「ハナモー(鼻無し)」と叫ぶと大波が襲いかかるとの伝説がある。荒崎・喜屋武岬一帯は、沖縄戦末期で数万人の日本軍・住民が最期を遂げた地で、荒崎にはひめゆり学徒隊の最後の地の碑が建立している。沖縄戦跡国定公園の一部に指定されている[2][10]

出典[編集]

  1. ^ 「荒崎」、『標準地名集』(1981年)、p.190
  2. ^ a b c d 「荒崎」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.130
  3. ^ a b 大木(2002年)、p.86
  4. ^ 島袋伸三「喜屋武岬」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、pp.872 - 873
  5. ^ 沖縄県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)”. 国土地理院. 2019年6月16日閲覧。(特に「糸満市」の「南端」参照)
  6. ^ a b 「荒崎」、 『日本歴史地名大系』(2002年)、p.228
  7. ^ 「東シナ海と太平洋の境」、「海の相談室」Q&A集”. 第十一管区海上保安本部. 2013年12月2日閲覧。
  8. ^ 新納義馬「荒崎海岸の隆起さんご礁上植生」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.118
  9. ^ 大木(2002年)、p.87
  10. ^ 「荒崎」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.131

参考文献[編集]

  • 大木隆志 『海と島の景観散歩 沖縄地図紀行』 ボーダーインク、2002年。ISBN 4-89982-027-5
  • 沖縄大百科事典刊行事務局編 『沖縄大百科事典沖縄タイムス社、1983年。全国書誌番号:84009086
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』 角川書店、1991年。ISBN 4-04-001470-7
  • 建設省国土地理院地図管理部 『標準地名集(自然地名) 増補改訂版』 建設省国土地理院地図管理部、1981年。全国書誌番号:82003525
  • 平凡社地方資料センター編 『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』 平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4

関連項目[編集]

外部リンク[編集]