草加有沢ボクシングジム
草加有沢ボクシングジム(そうかありさわボクシングジム)は、埼玉県草加市瀬崎の谷塚駅近くに在る東日本ボクシング協会加盟ジムである。略称は有沢ジム、草加有沢ジム、草加有沢。法人としての名称は有限会社有沢商店。初代会長・創始者は有澤二男。
概要
[編集]二男の長男有澤茂則は日本大学在学中に1966年(草加に練習場構えていた時代の)協栄ボクシングジム所属プロボクサーとしてデビュー。ハードパンチャーとして活躍し(結果的に塗り替えられたが)ライト級4回戦での1R13秒の最短KOタイムや5試合連続1RKOの日本記録を保持していた[要出典]。
1967年二男が協栄ジム創始者金平正紀から勧められ再度東京に移転することになった協栄ジムの旧練習場を買い取りボクシングジムの運営を開始し、更に自宅兼用の自社ビルの4Fに移転。1968年設立当初の名称は草加協栄ジム。
2000年7月5日に二人の息子とトロイカ体制を構築していた二男が80歳で死去し、当時53歳の茂則が第2代会長に就任、2009年より茂則の2歳下の実弟有澤好男が第3代会長を務めている。
フジテレビ系ダイヤモンドグローブとタイアップして自主興行「クリーンファイトボクシング」を開催し所属選手に試合出場の機会を多く与えて試合をさせた。
茂則の双子の息子カズ・コウジ有沢が1990年代に人気になり、後楽園ホールを沸かせ、若い女性のプロボクシングファン増加に貢献した。
1998年3月、両国国技館でのチャンピオンカーニバルにおいて、当時スーパーフェザー級でチェ・ヨンスが保持していたWBA世界王座かヘナロ・エルナンデスが保持していたWBC世界王座への事実上の挑戦者決定戦である「チャンピオン・コウジvs畑山隆則」を実現させ、畑山の所属する横浜光ボクシングジムと共に年間最高試合を受賞(同日のセミファイナルではカズが五月女利晴にKO負け)。兄弟揃って同年9月のジム開設30周年記念興行で再起戦、カズは翌年五月女に雪辱。
2000年12月、地元の草加市スポーツ健康都市記念体育館でカズの引退試合として自主興行を開催。
また日本ボクシング連盟にも加盟しており、カズは花咲徳栄高等学校3年の1989年全日本高校フェザー級チャンピオンとなり父の母校でもある日大にスポーツ推薦で進学した。
有澤家以外の主な選手
[編集]この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 三船豪(須田芳黄)(ジム第1号選手。1970年東日本フライ級新人王。バンタム級で日本タイトル挑戦2度、更に東洋太平洋タイトル挑戦1度経験。有澤ジム・トレーナーを経て、自身が敗れた磯上秀一の当時の所属先トクホン真闘ジムのビジネスマネージャー)
- スパイダー根本(全日本フェザー級新人王。初の世界タイトル挑戦者でパナマのエルネスト・マルセルおよびエウセビオ・ペドロサに善戦、ロイヤル小林の持つOPBF王座に挑戦。現役日本王者のまま引退し、草加市役所職員になった。退職後トクホン真闘ジムトレーナーを経て現在はスパイダー根本ジムオーナー)
- 菊崎英二(平仲信明の持つスーパーライト級日本王座に挑戦。現在はトレーナー)
- 飯泉健二(サウスポーの強打者、第1回日本タイトル挑戦権獲得トーナメント制覇、網膜剥離でJBCボクサーライセンス喪失もIBF日本で復帰)
- 三船元(全日本フェザー級新人王獲得後、間所俊晴からリングネーム変更、トクホン真闘ジムに移籍)
- 小口雅之(「ヅラボクサー」として話題に)
- 川崎タツキ(原功著ノンフィクション「はぐれ者〜悪魔と戦ったボクサー〜」の題材)
- 荒井操(全日本新人王および同MVP獲得)
- 岩渕真也(日本スーパーライト級王者)