花見朔巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
花見 朔巳
Hanami Sakumi.jpg
生誕 1881年9月23日
福島県耶麻郡姥堂村[* 1]
死没 (1946-04-27) 1946年4月27日(64歳没)
東京都芝区白金
出身校 東京帝国大学文科大学文学部国史学科
職業 歴史学者
配偶者 渡部ヨシノ(福島県渡部良軒の次女)

花見 朔巳(はなみ さくみ、1881年明治14年)9月23日 - 1946年昭和21年)4月27日)は、日本の歴史学者東京帝国大学史料編纂官、大学講師などを務める。主な研究対象は会津名古屋安土桃山時代の三分野[1]で、安土桃山史の権威であった[2]。歴史地理学会幹事。

生涯[編集]

現在の福島県喜多方市に地主の次男として生まれる。海軍軍人海兵57期)で戦後に塩川町長を務めた花見弘平陸軍軍人の花見侃(陸士47期陸大57期[3])は甥である[4]会津中学に学び、植村恒三郎、陸軍少将佐藤美千代と同期であった[5]二高を経て、1906年東京帝国大学文科大学を卒業[6]

開成中学教員[7][8]を経て『名古屋市史』政治編、学芸編の編纂を担当。1915年大正4年)に編纂が完了すると明治中学に勤務した。次いで『越佐史料』の編纂主任を務め、1922年(大正11年)から東京帝国大学史料編纂所に勤務し[8]1925年から史料編纂官となる[9]横浜市若松市の各市史編纂に携わったほか、下記の著作を刊行し、また『歴史地理』、『中央史壇』、『歴史教育』などで論文を発表した。1942年(昭和17年)からは勅任官待遇を受ける[8]

講師を務めた学校は 早稲田大学日本大学東京外国語学校上智大学などで、聖心女子学院で講義中に倒れ、同校で死去した[8]会津会会員[10]

著書等[編集]

単著
共著
編纂、校訂

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 塩川町を経て喜多方市となる。
出典
  1. ^ 『歴史地理』「川上多助氏談話」(川上は東京商科大学教授。)
  2. ^ 『歴史地理』藤井甚太郎「追悼録」
  3. ^ 上法快男『陸軍大学校』芙蓉書房出版
  4. ^ 花見和子『夫弘平との六十年』福島民報社事業局出版部
  5. ^ 福島県立会津高等学校『創立七十周年記念誌』須藤素「同級生」(須藤は統監府官僚慶尚北道知事若松市長
  6. ^ 東京帝国大学一覧 従明治39年至明治40年』 東京帝国大学、1907年、(207)頁。 
  7. ^ 『会津人物事典 文人編』「花見朔巳」
  8. ^ a b c d 『歴史地理』「花見朔巳氏履歴」
  9. ^ 東京帝国大学一覧 従大正15年至昭和2年』 東京帝国大学、1927年、367頁。 
  10. ^ 『会津会会員名簿』(大正8年6月発行)

参考文献[編集]

  • 小島一男『会津人物事典 文人編』歴史春秋社
  • 帝国秘密探偵社『大衆人事録 東京編』(第13版)、1939年
  • 日本歴史地理学会編『歴史地理』(掲載巻 88 掲載号 4)「花見朔巳・相田二郎両氏追悼特輯」吉川弘文館

外部リンク[編集]