舞踏組曲 (バルトーク)

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舞踏組曲』(ぶとうくみきょく)Sz.77は、バルトーク・ベーラ1923年に作曲した管弦楽曲。同年に行われたブダペスト市成立50周年記念音楽祭のために作曲された。

作曲の経緯[編集]

1923年の夏、ブダペスト市が同年の市成立50周年記念音楽祭のために、当時のハンガリー音楽界を代表するドホナーニ、コダーイ、そしてバルトークの3人に対し新作を書いて欲しい、と言う依頼を行ったことが作曲のきっかけである。この依頼に応えたバルトークは作曲活動に手間取っていた『中国の不思議な役人』を一旦棚上げし、その夏を費やして「管弦楽のための組曲」という自身のキャリア初期に手がけて以来遠ざかっていた形式で作品を作り上げた。そのため、オーケストラの書法には『中国の不思議な役人』と共通の部分が垣間見える。

祝祭向けということで華やかな部分も多く、更にハンガリー風の旋律以外にもルーマニア風、アラブ風などの民族的な色彩に彩られている。ただし主題は民謡などではなくすべてバルトークの自作で、民俗音楽研究と当時の「現代音楽」の特徴が渾然一体化しているなど、民謡の語法を消化して独自のスタイルをほぼ確立した時期の作品であることもうかがわせる。またバルトークは1931年にルーマニアの音楽学者オクタヴィアン・ベウに送った手紙の中で、この曲にはハンガリーとその周辺諸国民の連帯という意図を込めて作曲したのだと語っている。

初演を指揮したドホナーニ自身の『祝典序曲』、コダーイの『ハンガリー詩篇』とともに初演されたこの曲は好評で迎えられ、初演から1年半後の1925年5月19日にはプラハの音楽祭でヴァーツラフ・ターリヒ指揮のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏されて絶賛を受け、ヨーロッパ中でその後1年間に50回も演奏されたという。

構成[編集]

全体は5つの舞曲と終曲と言う6つの部分からなっており、その間を「リトルネロ」と題された間奏が様々に変奏されながら現れて繋ぐ形をとっている。なお、各曲の解説での「~風」と言う表現は、バルトークが先のベウへの手紙の中で旋律がどこに由来するものかを説明したものである。

第1舞曲 Moderato[編集]

三部形式。ファゴットが狭い音程間の「部分的に東洋・アラブ風」の旋律を導き出して始まる。やや盛り上がって終わると、ハープのグリッサンドで雰囲気は一変し、リトルネロに入る。ハンガリー民謡風の静かな旋律がヴァイオリンに乗って現れる。

第2舞曲 Allegro molto[編集]

三部形式。ヴァイオリンが荒々しいリズムに特徴があるハンガリー風の旋律を奏する。怒濤のような舞曲が静まると、ハープのグリッサンドで再び雰囲気は一変してリトルネロに入る。今度はまずクラリネットが旋律を奏する。

第3舞曲 Allegro vivace[編集]

ロンド形式。ハンガリー・ルーマニア(特にリズムで)・アラブのそれぞれの要素を持つ舞曲が、華やかなオーケストレーションで次々に現れる。ロンド主題の音階は五音音階に基づく。リトルネロなしで休みなく次の曲に続く(譜面には"atacca!"(そのまま続ける!)と書かれている)。

第4舞曲 Molto tranquillo[編集]

ほぼ三部形式。バルトークお得意の「夜の音楽」を思わせる静かな舞曲で、アラブ風の旋律が静穏な弦楽器の密集和音の中から出現する。その雰囲気を引き継ぐように、リトルネロもまた静かに、切れ切れに出現する。

第5舞曲 Comodo[編集]

「非常に原始的な舞曲でどこに由来するとも言えない」とバルトークが述べている。わずかに盛り上がって終わるが、そのリズムなどは終曲への序奏としての役割が大きい。

終曲 Allegro[編集]

第5舞曲のリズムで弦楽器が低弦から4度間隔で積み重なっていくと金管楽器が合いの手を入れるように(『中国の不思議な役人』の冒頭部に用法が似ている)登場し、その後各舞曲やリトルネロが次々と再帰してくる。最後は第3舞曲のテーマから派生した動機で曲を華々しく閉じる。

編成[編集]

ピアノ版[編集]

初演の好評をうけ、1925年に作曲者本人によるピアノ版が制作されたが、初演は20年後の1945年。ハンガリーのピアニストジェルジ・シャーンドルによってようやくなされた。

参考文献[編集]