脇信男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

脇 信男(わき のぶお、1919年 9月1日1997年12月12日)は日本政治家1971年から1995年までの6期24年にわたり高松市長を務めた。日本社会党県副委員長、全国革新市長会会長などを歴任。高松市名誉市民

来歴[編集]

高松市出身。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て中央大学法学部を卒業。戦後は帰郷し、同郷の成田知巳(後の日本社会党委員長)の秘書を16年間務める。

前市長・三宅徳三郎の1期限りでの引退表明を受け行われた1971年の高松市長選挙に、社会党と共産党の推薦を受け立候補。自身としては3回目の挑戦であったが、当時全国各地で革新自治体が誕生していたことや、保守陣営が分裂したことも手伝い初当選。第14代高松市長となる。

市長就任後は全国初の老人医療費助成制度(70歳以上が対象で所得制限なし)をはじめ、福祉を中心とした諸施策を実施。全国革新市長会の会長を1978年11月から1983年8月まで務める。

当初は社共共闘により市長に当選したが、のちに民社党公明党の推薦も得て革新・中道の市長として活躍。また5選時には市議会・同志会(自民党系)の支持も取り付けており、「オール与党体制」のもとで6期の任期を全うする。

1997年12月12日、腎不全のため高松市内の病院で死去。78歳。

逸話[編集]

  • 任期満了に伴う1995年の市長選では、脇市長のもとで助役を務めていた増田昌三が「市政継承」を訴え、全国初の自共共闘により当選し話題となる。

著書[編集]

  • 『瀬戸の都』(1986年10月、讃文社)
  • 『来時の道』(1995年5月、プリンティングオカダ)ISBN 4-87927-026-1 C0039 ¥2,500E

関連項目[編集]

  • 成田知巳
  • 前川忠夫
  • 社共共闘
  • 高松砂漠
  • 高松市立東部運動公園 - 脇市長時代の1994年に工事が始まり、2014年5月に全面オープンした。ただし、市の財政悪化に伴う事業内容の見直しにより、当初計画された大規模施設(サッカー場、野球場等)の設置を取りやめ、事業規模は縮小されている。


公職
先代:
三宅徳三郎
Flag of Takamatsu, Kagawa.svg 高松市長
第14代:1971 - 1995
次代:
増田昌三