羽衣石城

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羽衣石城
鳥取県
羽衣石城模擬天守
羽衣石城模擬天守
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし(層塔型3重3階模擬)
築城主 南条貞宗
築城年 貞治2年(1366年
主な城主 南条氏尼子国久毛利元経
廃城年 慶長5年(1600年
遺構 石垣、井戸
指定文化財 なし
再建造物 模擬天守
位置 北緯35度26分14.32秒
東経133度53分54.45秒

羽衣石城(うえしじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にある中世の日本の城山城)跡。

概要[編集]

城跡は東郷池の南、羽衣石川上流にある羽衣石山(標高372m)にあり、山陰道と東郷池に臨む東伯耆の要衝にある。永禄から天正の年間にかけてこの地を治めていた南条氏の本拠地で、伯耆の支配権を巡り尼子氏毛利氏が激しい攻防を繰り返した[1]

山頂には1990年に建てられた三層の模擬天守と「羽衣石城主南条公累代碑」がある。それ以前にも、昭和6年に大阪在住の南条氏の子孫によって建てられた模擬天守があった。 南条氏は伝承によると当初、羽衣石城よりも奥にある十万寺集落付辺に築城を予定していたという。築城しようとしたところ予定地のそばにある「日向池」(現在は地名のみ残る)にツバメが落ち、不吉なことだと感じた貞宗が羽衣石山へと変更させたといわれている。現在、その十万寺集落の北に広大な城跡があることが分かっているが調査が行われていないため詳細は不明である。

歴史[編集]

羽衣石城遠景
石垣

構造[編集]

標高372mの峻険な羽衣石山に多数の曲輪が設けられている。天嶮を利用した山岳城郭であるが随所に石垣も設けられており、中世城郭から近世城郭への移行の姿をとどめている。

本丸と帯曲輪[編集]

  • 本丸は山頂部に設けられ、東西に細長い長方形である。本丸の西端に模擬天守が建造されているが、天守が存在したかどうかは定かではない。模擬天守建造に伴う試掘調査の際、地鎮具と見られる壺が出土した。本丸への入り口は本丸西側にあり、石垣を用いた虎口も設けられている。
  • 一段下がって本丸を取り巻くように帯曲輪が設けられている。帯曲輪の北端からは試掘調査の際に柱穴や柵穴が検出され、物見櫓や板塀の存在が推定されている。現在、帯曲輪西端には東屋風の展望台が建てられている。

砦群[編集]

  • 本丸を中心に放射状に広がる北方尾根と西方尾根に、90余に及ぶ群が階段状に設けられている。南条氏の居館は山腹の八幡神社上にある比較的大規模な曲輪と伝えられているが、定かでない。ここからは、試掘調査の際に土師質の土器片、備前焼、白磁・青磁などが出土している。平時における南条氏の居館は、羽衣石集落の北方にある小鹿谷にあったと考えられている[2]
  • 東方尾根は峰伝いに攻撃されやすい弱点のため、数段の砦と堀切で防御している。しかし1582年天正10)の吉川元春との攻防戦の際は、東方尾根からの攻撃を支えきれずに落城している。
  • 城の南方面の防御は峻険な崖を利用しており、特に人工的な防御施設はない。
  • 本丸への登山道としては大手口と搦手口の2本がある。大手口には「天然の塁壁」と呼ばれる高さ5mほどの崖を利用した防壁がある。大手口途中には「お茶の水井戸」と呼ばれる井戸があり、城内の水の手として利用されていたことが推測される。搦手の本丸下には「羽衣岩」という天女が羽衣を掛けたと伝えられる巨石があり、ここも砦として利用されている。

出城群[編集]

出典[編集]

  1. ^ 新全国歴史散歩シリーズ31 鳥取県の歴史散歩(山川出版社) 125P
  2. ^ 鳥取県の歴史散歩 125P。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

現在の模擬天守が建てられる前の、1931年昭和6年)に南条氏の子孫によって建てられた初代の模擬天守の写真が掲載されている。