粟島 (敷設艇)

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粟島
1947年春、佐世保に停泊の「粟島」(手前)[1]
1947年春、佐世保に停泊の「粟島」(手前)[1]
基本情報
建造所 佐世保海軍工廠[2]
戦後は川南工業香焼島工場[3]
運用者 ( 大日本帝国海軍)
第2復員省/復員庁第2復員局
艦種 (敷設艇[2])
級名 神島型[4]
母港 呉(進水時)[5]
佐世保(復員輸送艦時)[6]
艦歴
計画 昭和19年度[7][注釈 1]、戦時艦船建造補充計画(マル戦計画)[8]
起工 1945年2月20日[3][9]
進水 1945年7月26日[10]
竣工 1946年4月18日復員輸送艦として[10]
その後 1947年10月1日[11]または3日アメリカへ引き渡し[10]
要目(計画)
排水量 810トン[12][注釈 2]
全長 74.50m[13]
水線長 73.30m[13]
垂線間長 69.50m[13]
最大幅 7.85m[13]
水線幅 7.85m[13]
深さ 4.60m[13]
吃水 公試平均 2.60m[注釈 3]
主機 マン式3号10型ディーゼル 2基[12]
推進 2軸 x 315rpm[12]
直径2.000m、ピッチ2.490m[12]
出力 3,600馬力[12]
速力 19.5ノット[12]
燃料 重油:51トン [注釈 3]
航続距離 14ノットで3,000海里 [注釈 3]
乗員 129名(特別輸送艦の定員)[14]
兵装 竣工時 なし[注釈 4]
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粟島(あわしま/あはしま[2])は、日本海軍敷設艇[4]神島型敷設艇の2番艇[4]。仮称「第1802号艦」[4]。完成が急がれ、主機関もマン式ディーゼルエンジンの在庫品を使った[15]が、終戦時未成で戦後に特別輸送艦として竣工した[10]

片桐大自の研究によれば、艦名は香川県善通寺市の北西にある塩飽諸島粟島からとる[16]海上自衛隊のうきしま型掃海艇「あわしま」に艦名は引き継がれ、こちらは元日本海軍の哨戒特務艇第138号」だった[16]

艦歴[編集]

艦長[編集]

艤装員長[編集]

  1. 大久保平八郎 大尉:1945年6月30日[21] - 1945年8月20日[22]、以後艤装員長を置かず。

艦長[編集]

(注)本艦には竣工後の「艇」としての履歴が存在しない。

  1. 河島義夫 第二復員官:1946年1月5日[23] - 1946年1月16日[24]、以後1946年1月20日まで艦長を置かず。
  2. 太田巍 第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1946年1月20日[25] - 1947年1月25日[26]
  3. (兼)溝口智司 復員事務官:1947年1月25日[26] - 1947年9月5日[27] (本職:済州艦長)
  4. 太田巍 復員事務官:1947年9月5日[28] -

同型艦[編集]

  • 神島 - 彦島(仮称艦名第1807号艦、未起工)[4]

参考文献[編集]

  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9
  • 『日本海軍護衛艦艇史』世界の艦船 1996年2月号増刊 第507集(増刊第45集)、海人社、1996年2月ISBN 4-905551-55-2
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU. (福井静夫/纏め『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
  • 福井静夫 『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』 光人社、2011年1月(原著1961年)。ISBN 978-4-7698-1488-7
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』 ベストセラーズ、1994年ISBN 4-584-17054-1
  • 牧野茂福井静夫/編 『海軍造船技術概要』 今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 雑誌「」編集部/編 『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』 光人社、1990年9月ISBN 4-7698-0464-4
  • 歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol.51 『真実の艦艇史2』学習研究社、2005年。ISBN 4-05-604083-4

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.30では昭和20年度計画としている。
  2. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻pp.1714-1715で基準排水量810トンとしているが、同ページにある神島の数値(800トン)から公試排水量と思われる。
  3. ^ a b c #海軍造船技術概要(1987)上巻p.666、#日本海軍護衛艦艇史(1996)p.95。数値は神島のもの。
  4. ^ 数枚の写真が残されているが、電測兵装は確認できない。水測兵装や航海に必要な光学兵装についても状況は不明。

出典[編集]

  1. ^ #日本海軍護衛艦艇史(1996)p.96
  2. ^ a b c d 昭和20年4月5日付 達第64号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070510800 
  3. ^ a b c d 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.30
  4. ^ a b c d e #海軍造船技術概要(1987)上巻p.664
  5. ^ a b 昭和20年6月26日付 内令 第573号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070515400 で閲覧可能。
  6. ^ a b 昭和21年2月3日付 第二復員省 内令第23号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070534600 
  7. ^ #日本海軍護衛艦艇史(1996)p.94
  8. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1536
  9. ^ #終戦時の日本海軍艦艇p.91
  10. ^ a b c d e f g h #写真日本の軍艦第14巻p.110
  11. ^ a b 運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時(内地)艦艇処分状況」1948年3月20日現在、#終戦と帝国艦艇(2011)資料2、p.23
  12. ^ a b c d e f #海軍造船技術概要(1987)下巻pp.1714-1715。
  13. ^ a b c d e f #海軍造船技術概要(1987)上巻p.666
  14. ^ 昭和21年2月1日付 第二復員省 内令第22号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070534600 
  15. ^ 世界の艦船 『日本海軍護衛艦艇史』、p. 94。
  16. ^ a b 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p512。
  17. ^ 昭和20年4月5日付 内令第295号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070504600 
  18. ^ 昭和21年12月15日付 復員庁第二復員局 復二第459号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070541900 
  19. ^ 昭和22年10月1日付 復員庁第二復員局 復二第712号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070538900 
  20. ^ 歴史群像 『真実の艦艇史2』、p. 149。
  21. ^ 昭和20年7月19日付 海軍辞令公報 甲 第1861号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106300 
  22. ^ 昭和20年9月3日付 海軍辞令公報 甲 第1903号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072107300 
  23. ^ 昭和21年1月30日付 第二復員省辞令公報 甲 第47号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072162300 
  24. ^ 昭和21年2月9日付 第二復員省辞令公報 甲 第56号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072158500 
  25. ^ 昭和21年2月15日付 第二復員省辞令公報 甲 第60号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072162400 
  26. ^ a b 昭和22年2月3日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第131号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072160200 
  27. ^ 昭和22年9月16日付 復員庁第二復員局辞令公報 第58号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072165900 
  28. ^ 昭和22年9月11日付 復員庁第二復員局辞令公報 第56号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072165900