空印寺

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空印寺
建康山空印寺
所在地 福井県小浜市小浜男山
位置 北緯35度29分29.6秒
東経135度44分18.3秒
座標: 北緯35度29分29.6秒 東経135度44分18.3秒
山号 建康山(けんこうさん)
宗派 曹洞宗
本尊 馬頭観音
創建年 寛文8年(1688年
正式名 建康山空印寺
文化財 薬医門 、紙本著色神明神社社頭風俗、酒井家墓所(市指定)
地図
空印寺の位置(福井県内)
空印寺
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空印寺(くういんじ)は、福井県小浜市小浜男山にある曹洞宗寺院山号は建康山。本尊は馬頭観音

歴史[編集]

若狭守護武田元光大永2年(1522年後瀬山城を築き守護館も当時長源寺のあった後瀬山城の山麓に移した。 現在の空印寺はこの敷地跡にある。水堀を廻らせた堅固な若狭守護館は、戦国時代以降も麓の城として利用され織田信長の重臣である丹羽長秀豊臣秀吉の親族である浅野長政木下勝俊なども平時はこの地に住した。

京極高次が関ヶ原の戦いの論功行賞により若狭国主となり、同館の主となった。高次没後、息子の京極忠高が旧地を京極高次の牌所とし泰雲寺を建立したが、京極家は寛永11年(1634年松江転封となる。

その後小浜藩酒井家菩提寺として、酒井忠勝により父酒井忠利の霊骨を移して建康寺と称され、二代藩主酒井忠直が酒井忠勝の七回忌法要を執り行うに当り寛文8年(1688年伽藍を増築し空印寺となった。

文化財[編集]

空印寺 薬医門
市指定文化財
  • 薬医門[1]
  • 紙本著色神明神社社頭風俗[2]
市指定史跡
  • 酒井家墓所[3]

八百比丘尼入定の洞穴[編集]

八百比丘尼入定の地(2006年11月撮影)。

八百比丘尼が後瀬山中の神社の傍らにを建て居住し、800歳で入定した洞穴がある。  

所在地[編集]

福井県小浜市小浜男山

交通アクセス[編集]

近隣情報[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 空印寺薬医門”. 小浜市教育委員会. 2015年4月26日閲覧。
  2. ^ 紙本著色神明神社社頭風俗図”. 小浜市教育委員会. 2015年4月26日閲覧。
  3. ^ 酒井家墓所”. 小浜市教育委員会. 2015年4月26日閲覧。