福島喜三次
福島 喜三次(ふくしま きそうじ、1881年10月10日 - 1946年9月17日)は実業家。日本人初のロータリアン。元ダラスロータリークラブ会員。1920年東京ロータリークラブを設立し同初代幹事に就任。大阪ロータリークラブ設立にもかかわり、1922年同初代幹事。
経歴[編集]
佐賀県西松浦郡有田町本町生まれ。2歳のとき父を亡くす。小学校時代から終始級長を務めるなど秀才で鳴らし、長崎商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)首席を経て、1904年東京高等商業学校(現一橋大学)を首席で卒業。一橋では同級の向井忠晴(三井総元方理事長や大蔵大臣を歴任)、佐藤尚武(外務大臣や参議院議長を歴任)と首席を争った[1]。
同級の向井とともに1904年三井物産入社。1905年からニューヨーク支店勤務。三井物産子会社であるダラスの東洋綿花社長を務め、日本人初のロータリアンに推挙された。上海支店長等を経て、1936年三井合名会社理事[1]。
親族[編集]
妻アサは、外交官で外務省通商局長や駐ブラジル公使等を歴任した杉村濬の娘[2]。国際連盟事務次長等を歴任した杉村陽太郎とは義理の兄弟。
脚注[編集]
- ^ a b 「ロータリーは遂に日本に来た ~つづき~」福岡西ロータリークラブ
- ^ 川⼝栄計「ロータリアンの⾜跡 vol.2 福島喜三次 ダラス、東京、⼤阪 RC」『大阪難波ロータリークラブ週報』No.2092 (PDF) 、大阪難波ロータリークラブ、2020年7月9日、p.5