神戸総合運動公園野球場

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神戸総合運動公園野球場
(スカイマークスタジアム)
Skymark Stadium
神戸総合運動公園野球場(撮影当時Yahoo!BBスタジアム)
施設データ
所在地 兵庫県神戸市須磨区緑台総合運動公園内
開場 1988年3月6日
所有者 神戸市
管理・運用者 オリックス野球クラブ(都市公園法に基づく管理許可制度による)
グラウンド 内野:クレー舗装及び天然芝
(1999年まではクレー舗装のみ)
外野:天然芝
照明 照明塔 - 4基
(内野球場外に2基、外野スタンド上部に2基)
内野屋根庇先 - 2基
照度 - 投捕間:2500Lx
    内野:2400Lx
    外野:1700Lx
設計者 日建設計
旧称
グリーンスタジアム神戸(開場~2002年)、
Yahoo! BBスタジアム(2003年~2004年)
使用チーム • 開催試合
オリックス・ブルーウェーブ/オリックス・バファローズ(1991年~2004年:本拠地として、2005年~:準本拠地 ただし2006年はメイン本拠扱い)
収容人員
約35,000人 (内野:1F 14,000席 2F 13,000席、外野:8,000席)
グラウンドデータ
球場規模 グラウンド面積: - m²
両翼:99.1 m(約325.1 ft)
中堅:122 m(約400.3 ft)
左右中間:117 m (約383.9 ft)
フェンス 2.45 m (約8.0 ft)
(ラバーフェンス:1m5cm + 金網フェンス:1m40cm)

神戸総合運動公園野球場(こうべそうごううんどうこうえん・やきゅうじょう)は、日本兵庫県神戸市須磨区神戸総合運動公園内にある野球場。施設は神戸市が所有し、この野球場を準本拠地とするオリックス・バファローズの運営法人・オリックス野球クラブが都市公園法に基づく管理許可制度により運営管理を行っている。

概要

1985年ユニバーシアード神戸大会の開催会場として、須磨区北部の丘陵地を切り開いて開発された神戸総合運動公園の敷地内(グリーンエキスポ'85の跡地)に1988年完成した。完成当初の愛称はグリーンスタジアム神戸。内野が土、外野が天然芝のフィールド(ファウルグラウンドの大部分は人工芝)を有し、当時公認野球規則の規定の大きさを満たした球場は同年開場の東京ドームのみで、グラウンド面積では東京ドームを大幅に上回っていたため「日本最大級の野球場」と謳われた。

1991年からは日本プロ野球パシフィック・リーグオリックス・ブルーウェーブの本拠地となり、現在はオリックス・バファローズの準本拠地となっている。

ネーミングライツ制度を導入しており、航空会社のスカイマークエアラインズ(現スカイマーク)が命名権を保持。現在の名称は「スカイマークスタジアム」となっている(詳細は後述)。開放的な設計でグラウンド全体が見渡しやすい客席、美しい総天然芝のグラウンドを備え、好きな球場ランキングで何回も1位になっている日本屈指のスタジアムである。また、球場の管理等も充実しており、ファンの間では日本一綺麗な球場といわれている。

山林を切り開いた場所にあり、多数の駐車場を備えているが、一方で鉄道など公共交通機関によるアクセスが良くないため、球場の人気の割に観客動員に恵まれない球場である。

歴史

グリーンスタジアム神戸時代

  • 1988年 - 3月6日に完成。プロによる初試合は3月12日の阪急対阪神のオープン戦。
  • 1989年 - オリックス・ブレーブスの準本拠地となる。
  • 1991年 - オリックス・ブレーブスからブルーウェーブへの改称と同時に阪急西宮球場より当球場に完全移転。
  • 1993年 - オールスターゲーム初開催。
  • 1995年 - 阪神・淡路大震災発生。一時は試合開催が危ぶまれたが、「がんばろうKOBE」の合言葉のもと、当球場でペナントレースが実施された。球場初の日本シリーズ開催。
  • 1996年 - 前年に続き日本シリーズを開催。リーグ・シーズンともに胴上げの舞台となる。
  • 2000年 - ボールパーク構想に基づく第一弾の改装実施。内野に天然芝を張り付け、分煙化も図られた。
  • 2001年 - スコアボード左側(選手表示部)のフリーボードの変更、内野の金網フェンスの引き下げ、内野1階席の更新を実施。
  • 2002年 - 球場の管理運営権が神戸市から球団に委譲される。

Yahoo!BBスタジアム時代

  • 2003年 - 日本の野球場として初めてネーミングライツを導入。Yahoo!BBスタジアムとなった。ボールパーク構想で最大規模となる改装が行われ、赤土の導入、内野2階席の更新、外野フェンスの引き下げ、フィールドシートの導入を実施。

スカイマークスタジアム時代

  • 2005年 - ネーミングライツが新たに契約され、スカイマークスタジアムとなった。合併によってできたオリックス・バファローズの準本拠地となる。
  • 2006年 - 大阪ドームの経営破綻に伴い、この年限りオリックスが当球場を専用球場とする。

使用実績

プロ野球

阪急・オリックス

当時阪急ブレーブスだった1988年は数試合のみ開催した。オリックスに買収された1989年から2年間は準本拠地[1]として使用。1989年シーズンは福岡ダイエーホークス戦の全13試合(ただし2試合が雨天中止となり、阪急西宮球場で振替実施)と他3試合の日程を当球場で組んだ。1990年はダイエー戦を主に、13試合を開催した。主な対戦相手がダイエーになったのは、1988年秋に南海ホークスがダイエーに買収された際、ダイエー側が一部の主催試合を開催する構想を持っていたためである。ダイエー本社が神戸にあるためだったが、元々兵庫県を保護地域とする阪神とオリックスの2球団から承諾を得ることができず、断念した経緯にオリックス側が配慮したためである。

1991年から、オリックスは既に老朽化が進んでいた阪急西宮球場から完全移転し、球団名も「ブレーブス」から「ブルーウェーブ」に改称した。1994年イチローが日本プロ野球史上初のシーズン200安打を達成。続く1995年からは、阪神・淡路大震災からの復興を願い「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げたオリックスがパ・リーグ2連覇を成し遂げ、1996年には日本一に輝いた。これらのことから、本拠地である当球場も知名度を上げ、観客動員数も球団新記録を記録した。

しかし、その後は観客動員数がチームの順位とともに低迷し、経営立て直しのため2005年にオリックスは大阪近鉄バファローズと球団合併することになった。合併に際し、2005年から3年間は暫定措置として阪神とともに兵庫県大阪府の2府県を保護地域とする「ダブルフランチャイズ制」が執られた。ただし、主催試合の半分以上と日本シリーズを行う専用球場は一ヶ所にすることになり、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)をオリックスは選択した。2005年にオリックスは当球場を準本拠地として、主催全68試合のうち32試合(大阪ドーム34試合、東京ドーム2試合)を開催した。オリックスの当初の方針ではダブルフランチャイズ制の3年間のうちに徐々に当球場の試合開催を減らし、2008年には10試合以下の開催にする予定であった。だが、2005年10月に大阪ドームを運営する第三セクター「大阪シティドーム」が会社更生法を申請。事実上経営破綻したため、2006年は当球場を専用球場に変更。野球協約ぎりぎりの数である主催試合の半分、34試合(大阪ドームでも34試合)を当球場で開催した。これはシリーズ期間中に大阪ドームを確保できない可能性があることを考慮しての措置である。その後、大阪ドームの施設はオリックスグループ傘下の「オリックスリアルエステート(現オリックス不動産)」が買収することになり、2007年は当球場での開催が22試合にまで削減された。

暫定措置が終了した2008年からはオリックスが大阪府、阪神が兵庫県を保護地域としたため、当球場は専用球場として選ばれることはなくなったが、オリックスは大阪ドームでの観客動員数の伸び悩みなどから、同年以降も神戸での試合開催数を20試合程度確保する方針を打ち出しており、同年も22試合を開催。2009年も22試合を当球場で開催する予定である。また、阪神も大阪ドームで主催公式戦を開催していることからこれに協力する姿勢をとっており、両球団は2008年以降、試合日程や開催数などについて折衝を行った上で、書面による同意を交わしている。

なお、大阪ドームより当球場を評価するファンからは神戸での開催数減少に異議を唱える声も出ており、実際に観客動員数でも上回ることが多い。但し、合併前の観客動員数は惨憺たるものであり、近年の神戸での観客動員数の増加は単に主催試合が激減したために希少価値が増加しただけ、と見ることもできる。

阪神

開場から数年間は本拠地の阪神甲子園球場で8月に全国高等学校野球選手権大会が行われる関係から、毎年同月に1~3試合を開催していた。1994年まで行われたがその後は阪急西宮スタジアムで、さらに大阪ドームで開催されるようになり、2007年まで主催試合は開催されなかった。

しかしオリックスの大阪ドームへの本拠地一本化の方針を受け、兵庫県と神戸市は「バファローズ一辺倒というわけにはいかない」として他球団の主催試合誘致を検討し、その一環として阪神に対し「スカイマークスタジアムで年間数試合の公式戦を開催してほしい」とする要望書を2006年に提出した。阪神・牧田球団社長もこれに協力する意向を明らかにした。折りしも甲子園球場は2007年オフから3期に渡って改修工事が予定されており、各年(2007年~2009年)の10月1日から翌年3月中旬まで甲子園が使用できなくなることから、阪神は同月以降の主催試合を当球場で代替開催すべく市と交渉を行い、その結果第1期工事が開始される2007年10月以降に行われる公式戦の雨天順延分とクライマックスシリーズ (CS)、さらに翌2008年シーズン前の春季非公式試合(オープン戦)の一部が当球場で行われることが決まった。

これに先立ち2007年にもオープン戦の対日本ハム戦が行われた。(阪神が神戸で主催オープン戦を開催するのは1990年以来17年ぶり)ただ同年シーズン終盤にオリックスの3位以下が早々に確定したため、雨天順延を避けるためにセ・リーグと阪神はCS第1ステージの主催球場を京セラドーム大阪に変更した(第2ステージは変更なし)。結局阪神はリーグ3位となり、主催公式戦も9月29日に全日程を終了したため、公式戦で使用されることはなかった。オープン戦は2008年にも予定通り開催された。

第2期工事期間中に関しては雨天順延分とオープン戦(2009年春季)での使用は決まったものの、CSは京セラドーム大阪を優先することになった。2008年9月30日に甲子園で行われる予定だった阪神主催最終戦の対中日戦が雨天中止となり、同年10月12日に代替試合が当球場で行われた。

第3期工事期間中に関しては工事予定の変更で甲子園での開催が可能になったため、2009年の公式戦の開催はないことが決定している。

他球団

2007年に読売ジャイアンツ主催公式戦(対広島戦)が行われた。かつては兵庫県明石市で春季キャンプを行っていた巨人が兵庫県内で主催公式戦を行うのは、1952年にプロ野球にフランチャイズ制度が制定されてからは初めてのことであった。

アマチュア

高校野球の予選関西六大学野球連盟関西学生野球連盟などの一部の試合が行われる。1990年から1996年までは社会人野球日本選手権大会も開催されていた。2006年には世界身体障害者野球大会が開催された。

名称

完成当初からグリーンスタジアム神戸の愛称がつけられたが、当時はこういった名称は他にスタルヒン球場(当時はスタルヒン球場が正式名称)があるくらいでまだ珍しかった。略記には「GS神戸」がよく使われていた。

2003年に、所有者である神戸市が財政難を補うため、日本の野球場として初めてネーミングライツを導入した。インターネットプロバイダYahoo! BBを運営するソフトバンクBB、インターネットポータルサイトYahoo! JAPANを運営するヤフーと2年間2億円の売却契約を締結し、Yahoo!BBスタジアムを名称とした。ただし「Yahoo!BB」は商標名であるため、NHKニュース野球中継等では社名のみを冠した「ヤフースタジアム」という表現が用いられた。

ヤフーソフトバンクBBの親会社であるソフトバンク福岡ダイエーホークスを買収したため、2004年12月に命名権の契約更新を行わず、2005年3月31日の期間満了をもって契約終了とすることが発表された。売却先が決まるまでは、暫定名として「神戸球場」とした。

これに伴い行われた公募により航空会社・スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)が契約料3年間2億円で命名権を獲得し、2005年2月10日からスカイマークスタジアムを新名称とした。2008年にはダブルフランチャイズ制が終了するため、契約延長が危ぶまれたものの、同条件の3年間2億円(金額はプロ野球の試合数に連動)で2008年2月に契約延長されている。

ボールパーク構想

1999年から球場長をはじめオリックス球団職員が何度も米国の球場を視察。メジャーリーグの球場を手本にした「ボールパーク構想」を打ち出す。この取り組みは後に高く評価され、日本の球場設計や野球ファンの意識にも大きな影響を与えることになる。まず2000年に第一弾の改装が行なわれ、米国の球場のように内野にも天然芝が張られた。またスタンドの分煙化と「ホームランイリュージョン」と称した演出を開始。これはブルーウェーブの選手がホームランを放つとバックスクリーンからが立ち上る演出である。さらに2001年、スコアボード左側をフリーボードに変更し、内野1階席の椅子を外野席と同じ深緑色に統一。内野の金網フェンスの高さを1m80cmから80cmに変更し、ファンにグラブ持参を呼びかけるキャンペーンを実施した。

2002年には球場の管理運営権が神戸市からオリックスに委譲された。球場内の売店をリニューアルし、アメリカ直輸入のホットドッグ、イタリアや中国料理の専門店などがオープン。また、5人まで座れる日本の現存球場では唯一のテーブル席を「ファミリーゾーン」として1塁側に19基設置した。

2003年には最大規模となる総工費約3億3000万円をかけた改装が行われ、内野の黒土部分とファウルゾーンの人工芝部分が全てアンツーカーをベースにした赤土で統一された。内野2階席の椅子を外野席・内野1階席と同じ深緑色に統一。外野スタンドの金網フェンスも2m15cmから1m40cmに引き下げた。また、日本の野球場としては初めての試みとして、約600席のフィールドシートを元々ブルペンがあったダッグアウトの隣に設置した。危険防止のため、可動式の透明アクリルカバーが全席に設けられている。このカバーは、当初取り付け予定にはなかったが、球場内で起きた事故は球団の責任となるため急遽設置された。フィールドシート設置にあたって、球団職員の田中浩一が設計・施工に参加した。「フィールドシート」の命名も田中により考えられ、現在は他球場でも使用されている。この改修によりファウルグラウンドは縮小され、ブルペンはファウルポール際に移設された。

球場データ

総合運動公園駅ごしに神戸総合運動公園野球場をのぞむ
  • 収容人数:35,000人
  • 内野:クレー舗装及び天然芝、外野:天然芝
    • 毎年年末年始にかけて外野部分に新年の干支にちなんだ芝生のペインティングを実施している。
    • 芝生の管理・育成やグラウンドの整備は、グリーンシステム株式会社が担当。
  • 両翼:99.1m、中堅:122m
  • グラウンド面積:14,300m²(開場当初の数値)
    • 開場当初は日本最大であった。フィールドシートの増設の際にファウルグラウンドが狭められたが、公式のグラウンド面積は発表されていない。
  • フェンスの高さ:2.45 m(2002年まで3.2 m)
  • スコアボード
    • スコア表示部:白色LED方式、大型映像装置:フルカラーLED式 右:三菱電機オーロラビジョン 左:東芝ライテックスーパーカラービジョン
    • スコアボード部のチーム名は日本語表記される。スコアは10回まで表記。審判名表示部は下段左に設けられ、6人制対応。試合進行中は現在登板している投手の投球数を上からボール・ストライク・総投球数の順に表示する。ボールカウント表示部は下段中央に独立したランプで表示される。ランプの位置を差し替えることによりアメリカ式の表示(上からB・S・O)にも対応可能。下段右には試合経過時間・打率・ホームランを表示。
    • 大型映像装置は1991年にブルーウェーブが本拠地としてから設置。スコア表示部の右側に設置された。2001年改修時に左側の選手名表示部を改修し大型映像装置化した。左側の部分は試合中、選手名表示部として機能する。左側の方が新しい分、解像度など表示性能が上回っている。なお右側の装置は2009年開幕までにLED式のものに改修されることが決定している[2]

一塁側のファウルポール際にはグラウンド搬入口が設けられており、グラウンド整備用の車両などが出入りする。そのため搬入口上部にある1階席上段部の座席はやや床面が高くなっているが、この部分はバファローズ主催ゲームで使用する場合「ペプシファミリーゾーン」として、家族で食事を楽しみながら試合を楽しめるようになっている(要予約)。

オリックス球団が指定管理者である関係上、1塁側ベンチには球団のロゴ「Bs」のデザインが描かれている。またオリックス主催試合では1塁側のネクストバッターズサークル付近にそのロゴのペインティングが施されている。オリックス以外のチームが主催ゲームを開催する際はロゴは隠される。

球場内の飲食関係は「非常に充実している」としてファンの間でも評価が高い。

球場内ボランティアに年配者を多く配している。

放送席の配置は、一塁側から順に新設部分としてJSPORTS、少し離れて既存部分として関西テレビラジオ大阪毎日放送朝日放送NHKとなっている。

外野スタンドの外側には、総合運動公園の小さな丘の森があり、デーゲームで反対のバックネット側から見ると鮮やかな緑が美しく、天然芝の球場の美しさをより際立たせている。1995年のブルーウェーブの優勝がかかった千葉ロッテ戦、翌年1996年のリーグ優勝決定の試合では、球場に入りきれない観客十数名が、優勝の瞬間を見届けようと木によじ登ってまで観戦していた。

内野天然芝

2000年には内野にも天然芝が張られた。かつては兵庫県西宮市阪急西宮球場東京都文京区後楽園球場、同荒川区東京スタジアムなどにも内外野天然芝が張られていたが、現存する日本のプロ野球開催の野球場としては当球場とサンマリンスタジアム宮崎鶴岡ドリームスタジアムのみであり、プロ球団の本拠地に関していえば当球場のみである。これとは逆に、一時期ドーム化が計画されていたこともあったが、当時ブルーウェーブに在籍していたイチローが「グリーンスタジアムは日本一の球場」と猛反対したこともあり、断念した。

イチローシート

イチローは1996年度以降、2004年度まで毎年神戸市の少年野球チームを一塁側カジュアルシート(20席分・140万円相当)に招待するイチローシートを実施していた。

1996年の設置当初は「阪神・淡路大震災の被災者に自分のプレーを間近で感じ取ってもらうことによって、勇気と希望を提供したい」という気持ちから設置してきたが、その後は地元神戸の少年野球選手たちに応援してもらった感謝の気持ち、そして野球を心の底から存分に楽しんでもらいたいということで神戸市の少年野球チームを招待してきた[3]

しかし、2004年シーズン中に発覚した大阪近鉄バファローズとの合併計画で「自らの原点であるブルーウェーブが合併すること、そしてその名称が消滅することに自らが帰る球団がなくなった」とショックを覚えたこと、また本拠地も大阪ドームとのダブルフランチャイズになることから試合数が大幅に減ってしまうことなどを考慮して、イチローシートを解消することになった。

サブ球場

1991年にオリックスが神戸に移転した際に建設され、1999年までオリックスの二軍の本拠地として使用された。2000年に二軍があじさいスタジアム北神戸に移転したため、現在は二軍のオープン戦を除けば、一・二軍とも使用しておらず、練習やアマ野球、一般利用などでの使用が多い。グラウンドはメイン球場を模しており、ダッグアウトやブルペンも1991年当時のものと同じように作られている。グラウンドは内野が土、外野が人工芝である。スコアボードはバックスクリーン右にあり、2色磁気反転型(白黒)となっている。

旧称は「グリーンスタジアム神戸サブ球場」。ヤフー、並びにスカイマークが本球場の命名権を取得していた2003年以後は正式名称のまま神戸総合運動公園サブ球場を名乗っているが、これはサブ球場が命名権売却の対象となっていなかったためである。

交通アクセス

脚注

関連項目

外部リンク

前本拠地:
阪急西宮球場
1937 - 1990
オリックス・ブルーウェーブの本拠地
1991 - 2004
次本拠地:
大阪ドーム
2005 - (1シーズンのみ、メイン本拠地)
前本拠地:
大阪ドーム
2005 - (1シーズンのみ、メイン本拠地)
オリックス・バファローズの本拠地
2006 - (1シーズンのみ、メイン本拠地)
次本拠地:
大阪ドーム
2007 - 現在