白木一二

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白木 一二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県
生年月日 1915年11月3日
没年月日 1944年?[1]
身長
体重
182[2] cm
71[2] kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手[2]
プロ入り 1937年
初出場 1937年3月26日[2]
最終出場 1938年11月15日[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

白木 一二(しらき かずじ、1915年11月3日[3] - 1944年?)は、兵庫県出身のプロ野球選手外野手)。

来歴・人物[編集]

滝川中学校(現:滝川中学校・高等学校)、國學院大學を経て、1937年春、名古屋軍に入団。身長182cm、体重71kgという当時としては非常に大柄で恵まれた体格[4]を活かし、シュアな打撃でチームを引っ張った。3番打者の大沢清の後ろで、4番打者を任された[1]中日ドラゴンズ史上8代目の4番打者でもある[5])。入団初年度の1937年春季シーズンでは、チームトップタイ(小島茂男と並ぶ)の27打点をマーク。戦前の投高打低の状況下で、一度もシーズン打率2割を下回った事がなかった。また選球眼も良く、四球の数が三振を上回っていた。守備も、強肩として定評があった[1]

1939年シーズン開幕前に応召[1]。その後、戦死した(1944年に亡くなったと言われている[1]が、正確な没年日時・死没場所は不明)。数え30歳没。

東京ドーム敷地内にある、鎮魂の碑には彼の名が刻まれている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1937 名古屋 49 170 153 8 42 6 1 0 50 27 5 -- 2 -- 15 -- 0 8 -- .275 .335 .327 .662
1937 37 115 100 7 25 4 0 0 29 5 1 -- 1 -- 14 -- 0 7 -- .250 .339 .290 .629
1938 31 132 120 10 24 2 0 1 29 17 0 -- 0 -- 12 -- 0 12 -- .200 .273 .242 .515
1938 33 139 121 10 31 4 1 1 40 17 2 -- 0 -- 18 -- 0 22 -- .256 .353 .331 .684
通算:2年 150 556 494 35 122 16 2 2 148 66 8 -- 3 -- 59 -- 0 49 -- .247 .326 .300 .626

背番号[編集]

  • 21 (1937年)[6]
  • 5 (1938年)[7]

脚注[編集]

関連項目[編集]