琵琶湖若狭湾快速鉄道
| 琵琶湖若狭湾快速鉄道 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 現況 | 事実上の白紙撤回[1] |
| 国 |
|
| 所在地 | 滋賀県湖西・福井県嶺南 |
| 起点 | 近江今津駅 |
| 終点 | 上中駅 |
| 駅数 | 5駅 |
| 路線諸元 | |
| 路線距離 | 19.78 km |
| 軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
| 線路数 | 単線 |
琵琶湖若狭湾快速鉄道(びわこわかさわんかいそくてつどう)は、JR湖西線近江今津駅(滋賀県高島市)と小浜線上中駅(福井県三方上中郡若狭町)を結ぶ、全長約20 kmの鉄道路線構想である[2]。旧称は琵琶湖・若狭湾リゾートラインで[3]、構想初期には「リゾートライン」「リゾート新線」とも[4]「今津・上中間新線」などとも通称された[2]。
概要
[編集]
滋賀県湖西地方の近江今津駅から福井県若狭地方の上中駅に至る19.8 kmの単線高規格電化路線を敷設し[5]、東舞鶴駅–近江今津駅–京都駅・大阪駅間に快速列車を走らせる[6]計画である。2026年4月現在、近江今津駅–上中駅間は西日本JRバス若江線が約40分で結んでいるが、新線経由ならば、同区間は最短15分で結ばれ、敦賀駅または東舞鶴駅経由で2時間以上かかっている小浜駅–京都駅間も60分程度で結ばれることになり、若狭方面から京阪神大都市圏へのアクセスが飛躍的に向上することが期待される[2]。計画では、設置駅は日置前駅、角川駅、熊川駅の3駅とし[2]、建設は第三セクターで行い、運営はJR西日本が行うこと[注 1]を想定していた[6]。
計画の経緯
[編集]この新線敷設計画は、1920年(大正9年)設立の江若鉄道が、その前年に敷設免許を取得し、開通を目指した浜大津駅(大津市)–三宅駅(現在の上中駅)間のうち、開通しないまま免許が失効した近江今津駅以北の未成区間を、国が1922年(大正11年)公布の改正鉄道敷設法別表77に定めた予定線の一部に組み入れ、1969年(昭和44年)に計画線となった国鉄若江線からの流れを汲むものである[8][9]。鉄道に先行する形で国鉄バス若江線が開業したが[10]、鉄道路線の敷設計画は進展がないまま、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化により、鉄道敷設法が廃止となる[11]。これにより、国鉄若江線は法的根拠を失い、幻の計画路線に終わる[11]。
これに並行して、1970年(昭和45年)公布・施行の全国新幹線鉄道整備法により、1973年(昭和48年)には小浜市付近を経由地とする北陸新幹線(若狭ルート)の整備計画が決定していた[12]。しかし、国鉄若江線が計画中止となった1987年(昭和62年)時点では、南越駅(後の越前たけふ駅)以南のルートは依然未定のままで、国鉄の経営悪化や国の財源不足などにより、整備新幹線計画自体が一時凍結されるなどしていた[13]。
国による新線建設への道が断たれ[14]、北陸新幹線若狭ルート(小浜ルート)の実現の見通しも立たない中[13]、バブル全盛期の1989年(平成元年)に小浜市、上中町、今津町、朽木村の沿線4市町村が新線の検討を開始し[13]、1991年(平成3年)に研究会を設立して[15]、1992年(平成4年)の報告書の中で「琵琶湖・若狭湾リゾートライン」として新線構想が具体化する[13]。同年9月、福井県嶺南地域の8市町村(当時)は建設促進期成同盟会を発足させ[16]、新線建設推進運動が展開され始める[9]。
1996年(平成8年)12月、福井県は嶺南地域鉄道整備の一環として、新線事業化の前提となる小浜線の電化[注 2]、ならびに北陸本線長浜駅–敦賀駅間と湖西線永原駅–近江塩津駅間の直流電化および関西方面からの新快速電車の敦賀駅乗り入れ[注 3]を、新線建設とあわせて「嶺南地域鉄道整備3点セット」とし、県の嶺南振興施策の基本的な考えとする[18]。1997年(平成9年)7月、地元負担金の準備のため[18]、嶺南の全市町村で構成する嶺南広域行政組合が設立され、同年度より嶺南鉄道整備促進基金の積み立てを開始する[19]。
2000年(平成12年)11月に建設促進期成同盟会が初の総決起大会を小浜市で開き[20]、2002年(平成14年)6月に新線の名称を「琵琶湖若狭湾快速鉄道」に改め[3]、2006年(平成18年)9月には早期事業化を求める22万人余りの署名が福井県に提出されるなど[21]、建設促進の機運は高まりを見せた。他方、開業によるメリットが比較的少ない滋賀県側は新線の敷設に消極的であり、福井県側とは依然として温度差があった[22]。
事業主体が決まらず、滋賀県内区間の事業負担割合をめぐる福井・滋賀両県の協議も難航する中[23]、2016年(平成28年)12月、国が整備する北陸新幹線の敦賀以西ルートが「小浜・京都ルート」に正式決定する[1]。これにより、小浜・京都間が高速鉄道で直接結ばれる目処が立ち、事業化を推進する意義が薄れた快速鉄道構想は、翌年2月に建設促進期成同盟会が解散し[7]、同年度末をもって基金の積み立ても中止され、事実上の白紙撤回となった[1]。
ところが、一度は決着をみた北陸新幹線「小浜・京都ルート」であったが、大深度トンネルを通すことになる京都盆地(京都市街地)の地下水への影響が懸念されることなどを理由に、京都府・大阪府を中心にルートの再考を求める声が強まり、敦賀以西の延伸ルート問題が再燃する。2025年(令和7年)夏、ルート案の再検証入りが決定したことを受けて、小浜市では市民有志により、琵琶湖若狭湾快速鉄道の実現を目指す動きが再び活発になりつつある[24]。
整備効果
[編集]2026年(令和8年)3月現在、小浜駅–京都駅間の所要時間は、敦賀駅経由で特急「サンダーバード」を利用して最速2時間5分、東舞鶴駅経由で特急「まいづる」を利用した場合は約2時間40分かかっている(いずれも乗り換え時間を含む)が、新線経由なら1時間程度に短縮される[2]。これにより、若狭地域は観光客の増加による雇用創出や税収増加[25]、関西大都市圏の通勤・通学圏となることによる[15]定住人口の増加や企業誘致が期待される[25]。
北陸新幹線「小浜・京都ルート」の想定(2016年時点)では、小浜・京都間の所要時間を約19分、運賃・料金を2,110円と試算している[26][27]。一方、新線(今津上中線)の運賃は、地方交通線の賃率程度となり高くなるものの[28]、新幹線に比べると安く、2003年時点の幹線の運賃に換算すると、新線経由の小浜駅–京都駅間の運賃は1,620円とされる[29]。そのため、地域住民の足として新幹線よりも気軽に利用しやすく、また新大阪駅で乗り換えることなく大阪駅まで行ける(新快速なら神戸方面まで行ける)点も大きなメリットである[28]。
一方、この区間を結ぶ公共交通機関として、西日本ジェイアールバスが路線バス・若江線を近江今津駅–小浜駅間で運行している。公共交通機関を利用する場合、小浜駅–京都駅間の最短ルートは、西日本JRバス若江線とJR湖西線新快速を乗り継ぐルートとなり、乗り換えを含めた所要時間は約2時間5分である。このJRバス若江線は、かつては黒字路線であったが、沿線の過疎化やマイカー利用が進み、乗客数の減少により減便されるなどしており、同区間に莫大な費用をかけて鉄道を敷設するほどの需要が期待できるのかと採算性を疑問視する声も聞かれる[7]。
ルート
[編集]構想されていたルートの概略は次の通り。
湖西線の近江今津駅から分岐して1.4 kmほど同線と並行し、石田川の手前で大きく左に曲がりながら同川を渡り、湖北バイパスをくぐって最初の停車駅である
路線データ
[編集]| 琵琶湖若狭湾快速鉄道敷設計画図 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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数字は近江今津駅からのキロ程 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設置予定駅
[編集]近江今津駅 (0.0) – 日置前駅 (5.2) – 角川駅 (9.6) – 熊川駅 (15.1) – 上中駅 (19.8)
- ( )内は近江今津駅からのキロ程。中間駅の駅名とキロ程はいずれも計画段階のもの。
| 駅名 | キロ程 | 接続路線 | 所在地 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 近江今津駅 | 0.00 | JR湖西線 | 滋賀県 | 高島市 | |
| 日置前駅(仮称) | 5.15 | ||||
| 角川駅(仮称) | 9.60 | ||||
| 熊川駅(仮称) | 15.10 | 福井県 | 三方上中郡若狭町 | ||
| 上中駅 | 19.78 | JR小浜線 | |||
輸送形態
[編集]建設促進期成同盟会によると、線内運転の普通列車が1日14往復、大阪駅・京都駅–東舞鶴駅・敦賀駅間の直通快速が1日4往復、同じく直通特急が1日4往復の計22往復を想定していた[33]。
歴史
[編集]若狭地方の中心地である小浜は、江戸時代には北前船の寄港地として栄え[34]、小浜を起点とする鯖街道は京都へ海産物などを運ぶ幹線交易ルートであった[18]。しかし、明治以後、福知山には山陰本線、敦賀には北陸本線と、鉄道幹線が開業したのに比べ、小浜は主要な交通ルートから外れてしまう[34]。若狭と京都を結ぶ鉄道の建設は、政治・経済的に取り残されつつあった若狭地方の人々にとって、かつての地位を取り戻すための悲願でもあった[34][35]。
小浜鉄道の敷設計画と挫折 (1893–1900)
[編集]若狭から滋賀県(近江)へ向かう鉄道敷設構想の歴史は古く[36][37]、1893年(明治26年)8月に当時の小浜町長・組屋六郎左衛門が、大北安之助、吉岡喜兵衛ら町有志と小浜・京都間を結ぶ鉄道の敷設を計画したのが嚆矢とされる[38][39]。
1894年(明治27年)4月、組屋ら19名の発起人が滋賀県庁へ出向き[注 4]、滋賀県知事・大越亨に協力を依頼した[42]。滋賀県側に配慮して、建設区間を小浜・大津間に変更し、会社名を江若鉄道株式会社[注 5]とすることが決定する[43]。6月には滋賀・福井両県知事の許可を受け、7月には滋賀郡・高島郡からも発起人が集まり、会社名を近若鉄道株式会社に改める[43]。8月1日に日清戦争が始まり、作業は一時中断したが、11月には鉄道局の実地測定が行われ、年末以降に再び活動は活発になる[43]。
1895年(明治28年)10月31日、会社名を小浜鉄道株式会社(資本金100万円)に改め、小浜・大津間のうち小浜・今津間の鉄道の敷設を出願した[35]。12月2日には、熊川・敦賀間および小浜・余部(舞鶴)間の鉄道敷設を出願していた若狭鉄道株式会社(資本金85万円)との吸収合併を申請した[35]。
1897年(明治30年)4月5日の鉄道会議において小浜鉄道全線の敷設が認可され[44]、9月16日には仮免許状が下付された[45]。ただし、仮免許状の有効期限は18か月で、本免許状を申請するためには、より厳しい条件を期限内に整える必要があった[45]。線路の実測および調査は関西鉄道に委託し、1898年(明治31年)10月に実測は完了させたものの、必要な株主と株数を確保できず[46]、最後の線路図面の完成に必要な資金が不足した[47]。1899年(明治32年)3月と1900年(明治33年)1月の2回の仮免許状の更新も虚しく、同年6月の3回目の更新申請は承認されず、とうとう本免許状を申請することはできなかった[48]。同年7月12日、やむなく仮免許状を返納することとなり、小浜鉄道の敷設計画は頓挫する[48]。
江若鉄道の建設と未成区間 (1917–1936)
[編集]1917年(大正6年)、湖西地方の鉄道敷設を公約に掲げた森正隆が滋賀県知事に任命されたのを契機として、滋賀県の積極的な支援を受け、1919年(大正8年)8月19日、「滋賀県大津市ヨリ福井県遠敷郡三宅村ニ至ル」鉄道敷設免許状が発行された[49]。これを受けて、1920年(大正9年)1月24日、その名も江若鉄道株式会社(大津市)が設立された[50]。株式の発行数は8万株で、投資家だけでなく滋賀・福井の住民にも募った結果、設立時点で5,820人の株主が集められた[50]。
江若鉄道は社名の文字通り、滋賀県(近江)側から小浜(若狭)方面を目指し、10年の歳月をかけて、1931年(昭和6年)1月1日、浜大津駅–近江今津駅間が開業する[51]。しかし、野坂・比良山系を越えて若狭側へ鉄路を通せるだけの資金を調達できず[37]、近江今津・三宅間は1936年(昭和11年)に延長を打ち切り[10]、未成区間となる[52]。
改正鉄道敷設法と幻の国鉄若江線 (1922–1987)
[編集]他方で、1922年(大正11年)4月、改正鉄道敷設法が公布され、別表77に「滋賀県浜大津ヨリ高城ヲ経テ福井県三宅ニ至ル鉄道」が記載されたことで、今津・三宅(上中)間は予定線の一部に組み入れられ、同区間は改正法が施行される以前に免許を取得していた江若鉄道によって建設されることになっていた[53]。同年12月には小浜線(敦賀駅–新舞鶴駅間)が全線開通している[14]。
別表77の区間のうち、地形の平坦な浜大津駅–近江今津駅間は先述の通り開通したものの[52]、残りの山越えの区間は江若鉄道の建設資金が底をつき[8][54]、延長は打ち切りとなる[10]。1937年(昭和12年)12月には[55]、将来的な鉄道の敷設を前提として[31]、省営バス・若江本線が先行開業し[10]、小浜・近江今津間は当面の間、バス輸送で連絡されることになる[51][注 6]。
終戦後、大津・三宅間は鉄道敷設法別表77の予定線であるとして、江若鉄道線を国に移管させた上で、国鉄若江線として路線を延長し、未成区間を建設するよう、地元側が国に働きかけを行った[12][52]。一方、1950年代になると北陸地区と関西地区を結ぶ列車が増大し、米原駅–京都駅間では東海道線と北陸線の列車が輻輳するなど[8]、国鉄はダイヤの過密化に悩まされていた[12]。さらに、近江今津駅–近江塩津駅間の鉄道敷設運動も起こり、国鉄では北陸線をバイパスする湖西回りの路線が検討され[12]、1961年(昭和36年)に同区間が予定線となる[8]。翌年には浜大津駅–近江塩津駅間が調査線に昇格し、1964年(昭和39年)に工事線となる[8]。国鉄は1969年(昭和44年)に江若鉄道を買収した上で一部区間を流用し[52]、近江今津から敦賀方面へ路線を延長して、1974年(昭和49年)7月に湖西線として開業させた[12]。
1970年(昭和45年)には全国新幹線鉄道整備法が施行され、1973年(昭和48年)に北陸新幹線の整備計画において小浜市付近を経由地とする若狭ルート(小浜ルート)が持ち上がる[52]。その際、国鉄若江線を予定線から調査線に格上げするよう、地元から要請され[52]、1974年(昭和49年)に調査線に格上げされた[58]。だが、国鉄の経営悪化や国の財源不足などにより、北陸新幹線を含む整備新幹線計画は1982年(昭和57年)9月に一時凍結された[59]。凍結は1987年(昭和62年)1月に解除されたものの、福井県内を通る予定の南越駅(後の越前たけふ駅)以南のルートは当時、依然として未定のままで[59]、調査線へ格上げされた国鉄若江線も進展がなく放置されたままだった[52]。そして、同年4月の国鉄分割民営化により鉄道敷設法は廃止され[30]、法的根拠を喪失した国鉄若江線は幻の計画路線となる[60]。
沿線自治体による新線構想 (1989–2017)
[編集]国鉄若江線が計画中止となり、北陸新幹線若狭ルートの先行きも不透明な社会経済情勢の中[61]、平成のバブル全盛期に急浮上したのが、小浜市、上中町、今津町、朽木村の沿線4市町村による「琵琶湖・若狭湾リゾートライン」構想である[37]。1991年(平成3年)7月、当時の上中町長・井ノ口英也の呼びかけにより[58]、4市町村は「琵琶湖・若狭湾リゾートライン研究会」を発足させ[62]、同年12月から基本調査を開始し[63]、建設の可能性を追求した[15]。
1992年(平成4年)4月、同研究会は基本調査の結果をまとめ、工事費を総額298億円、工事期間を5年から7年、通常旅客を年間70万人から110万人、観光旅客を年間100万人から200万人と試算し、開業から1年で黒字となるとした[64]。同年7月、福井県議会は超党派で「若狭湾・琵琶湖リゾートライン研究調査促進議員連盟」を設立した[65]。9月には、福井県嶺南の8市町村(当時)が「琵琶湖・若狭湾リゾートライン鉄道建設および小浜線電化促進期成同盟会」(会長:辻与太夫小浜市長)を設立し[16]、当時まだ非電化路線であった小浜線の電化と併せてリゾートラインの事業化を目指した[62]。同月上旬、福井県知事・栗田幸雄は、北陸新幹線若狭ルートと今津・上中新線(リゾートライン)の実現に同時並行で取り組んでいく考えを示した[66]。
1993年(平成5年)8月には、滋賀県側でも高島郡6町村と関係団体によって「琵琶湖・若狭湾リゾートライン鉄道建設促進期成同盟会」が設立された[67]。
同年12月、福井県はリゾートラインの鉄道需要予測調査結果をまとめ、新線の利用者数を一日平均7000人(2000年時点)、輸送密度を5700人キロ(同)と予測した[68]。
1994年(平成6年)6月、研究会と期成同盟会は共同で[62]、リゾートラインの早期実現を求める175,624人分の署名を集め、福井県の栗田知事および県議会議長に陳情し、署名簿を提出した[69]。
1995年(平成7年)1月、福井県は滋賀県と共同で実施した嶺南地域鉄道事業化可能性調査の結果を公表した[70][71]。同調査では前提条件として、リゾート新線を路線延長19.8 kmの単線電化、途中駅を日置前、角川、熊川の3駅とし、近江今津駅–上中駅間を所要15分とする急行・特急を一日6往復、同じく20分とする普通を一日20往復、それぞれ運行することを想定していた[70]。近江今津駅付近を新線から湖西線に直接乗り入れる立体交差方式とする場合、用地費を含む工事費は493億円、車両購入費は37億円、新線と一体的に整備する小浜線の電化事業費も含めると、総事業費は708億円と試算された[70]。黒字化は開業から30年後と見込まれ[71]、基本調査の結果よりも厳しい評価となった。
同年5月、福井県と嶺南8市町村の助役などで構成する[72]嶺南地域鉄道事業化検討協議会が設置され[73]、需要予測調査と事業化可能性調査で示された諸課題について[72]、事業化に向けて具体的な検討・協議に取り組む主体となる[74][75]。
1996年(平成8年)12月には嶺南地域鉄道整備の基本的考え方がまとまり、
- 小浜線の電化[11]
- 近江今津駅–上中駅間の新線(琵琶湖・若狭湾リゾートライン)の実現[11]
- 長浜駅–敦賀駅間(北陸本線)および永原駅–近江塩津駅間(湖西線)を直流電化区間にして敦賀駅まで新快速電車を走らせること[11]
の3つの事業(いわゆる「嶺南地域鉄道整備3点セット」)について、事業化に向けて取り組むことになった。
また、事業化が実現した場合に備え、1997年(平成9年)7月に嶺南8市町村で構成する嶺南広域行政組合を設立して[76]、同年度から嶺南鉄道整備促進基金の積み立てを始め、これとは別に福井県も翌年度より地域振興基金[77]の積み立てを開始した[19]。
2000年(平成12年)7月、小浜市長選挙において、琵琶湖・若狭湾リゾートラインの早期建設を公約に掲げた村上利夫が無投票で初当選し[78]、同年11月、村上が会長に就任した建設促進期成同盟会が初の総決起大会を小浜市で開いた[20]。翌年2月には、滋賀県知事・國松善次に協力を要請した[78]。
バブル崩壊や地域交通網の変化など、その後の社会経済情勢の変化を受けて、前述の調査の結果が再検討されることになり[79]、2002年(平成14年)に実施された再調査において[19]、新線の概算事業費は約424億円[80]、輸送密度は約2,650人キロ(2010年時点)[81]とされた。また、10年前に付けられた「リゾートライン」という名称は、観光面ばかりが強調され、時代に合わなくなったとして[81]、同年6月に新線の名称が「琵琶湖若狭湾快速鉄道」に変更された[3]。
上記「嶺南地域鉄道整備3点セット」のうち、小浜線は2003年(平成15年)3月に電化開業し、湖西線と北陸本線の一部区間の直流電化事業も2006年(平成18年)10月に完了し、残すは琵琶湖若狭湾快速鉄道の建設のみとなった[82]。この間、2005年(平成17年)には、1月に旧高島郡6町村が合併して高島市が、3月に旧遠敷郡上中町が旧三方郡三方町と合併して三方上中郡若狭町が、それぞれ誕生している。翌年9月には、琵琶湖若狭湾快速鉄道の早期事業化を求める226,290人分の署名が、福井県の西川一誠知事および松崎晃治県議会議長に宛てて提出された[21]。
2007年(平成19年)12月には、滋賀県側でも、高島市の市議や商工業者、観光関係者などにより[83]、建設促進連絡協議会が設立された[6]。
年明けの新春インタビューで小浜市長・村上利夫は、琵琶湖若狭湾快速鉄道の建設資金について、嶺南広域行政組合が年度末までに積み立てる約41億円余りの基金をベースとして、不足分は都市鉄道等利便増進法と原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法の適用を受け、国と県の補助を充てることを念頭に置いているとの考えを示した[84]。
2008年(平成20年)8月に小浜市長が、2009年(平成21年)5月に若狭町長が、それぞれ交代する。
上述した滋賀県側の建設促進連絡協議会の設立総会では、2010年(平成22年) 度に着工、2015年(平成27年) 度に開業を目指す整備スケジュールが示されていたが[23]、全路線長の3分の2を占める滋賀県内区間の事業負担割合をめぐって福井・滋賀両県の協議が難航し[23]、2010年(平成22年)頃から建設促進運動は下火になる[85]。やがて、福井県側の建設促進期成同盟会が事務局を置く小浜市も、国家プロジェクトである北陸新幹線若狭ルート(小浜ルート)の整備促進運動に軸足を移すようになる[85]。
2016年(平成28年)12月20日、北陸新幹線の敦賀以西ルートが「小浜・京都ルート」に正式決定し、小浜市と京都市を直結する整備新幹線計画に一定の目処が立つと、新幹線の早期全線開業実現に向けて運動を推進することになり、嶺南広域行政組合の管理者でもあった小浜市長・松崎晃治は快速鉄道計画の見直しを示唆した[1]。
2017年(平成29年)2月9日、松崎は「関西圏への移動時間の短縮は新幹線の実現で達成できる」と述べ[1]、琵琶湖若狭湾快速鉄道の建設促進運動の中止[19]、および基金の積み立て中止を正式に表明した[1]。これにより、快速鉄道の敷設計画は事実上白紙撤回され[1]、同年度末をもって建設促進運動および基金の積み立てが中止されることになる[19]。松崎が中止を決めたことに対し、小浜市議会からは「国家プロジェクトと地域鉄道は別だという主張だったはず」との批判や、長年にわたり運動してきた地元団体への丁寧な説明を求める意見などが出た[19]。
なお、嶺南6市町と福井県が積み立てたものの、宙に浮いた約80億円の基金の使途については、小浜線の増便や折り返し施設・各駅の整備、観光列車や市町をまたぐ広域バスの導入、公共交通のキャッシュレス化などの財源に充てることで、県と6市町が合意したことが、2020年(令和2年)12月3日の小浜市議会で説明された[86]。
基金の積み立て中止および使途変更をめぐっては、快速鉄道計画を先導してきた元小浜市長・村上利夫と元若狭町長・千田千代和らが、中止・変更を決めた前市長・松崎晃治と前町長・森下裕を批判し、積み立てを再開するよう要望している[23][87]。
年表
[編集]下表では、近江・若狭地方の鉄道敷設史に関係する出来事を年代順に記す。
| 和暦年 | 西暦年 | 月 | 日 | 福井県側 | 滋賀県側 | 国および国鉄 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 明治 | 4 | 1871 | 1 | 13 | 京都府が京都・若狭間の鉄道建設計画を出願[40][注 7] | ||
| 17 | 1884 | 4 | 16 | 金ヶ崎駅–長浜駅間が全通[88] | |||
| 22 | 1889 | 7 | 1 | 長浜駅–米原駅間が開通[88] | |||
| 26 | 1893 | 8 | 小浜町長・組屋六郎左衛門が町有志らと小浜・京都間に鉄道敷設を計画[39] | ||||
| 28 | 1895 | 10 | 31 | 小浜鉄道株式会社が小浜・今津間の鉄道敷設を出願[39] | |||
| 29 | 1896 | 7 | 15 | 敦賀駅–福井駅間が開通[89] | |||
| 30 | 1897 | 4 | 5 | 鉄道会議が小浜鉄道の全線敷設を認可[44] | |||
| 9 | 13 | 逓信省が小浜鉄道に仮免状を下付[90] | |||||
| 32 | 1899 | 3 | 20 | 敦賀駅–富山駅間が全通[89] | |||
| 33 | 1900 | 7 | 12 | 資金不足のため、小浜鉄道の敷設計画が頓挫[90] | |||
| 42 | 1909 | 10 | 12 | 米原駅–魚津駅間に「北陸本線」の線路名称制定[91] | |||
| 大正 | 6 | 1917 | 12 | 15 | 国鉄小浜線・敦賀駅–十村駅間が開業[92] | ||
| 7 | 1918 | 11 | 10 | 国鉄小浜線・十村駅–小浜駅間が開業[92] | |||
| 8 | 1919 | 8 | 19 | 江若鉄道に大津・三宅間の免許状を下付[93] | |||
| 9 | 1920 | 1 | 24 | 江若鉄道株式会社設立[94] | |||
| 10 | 1921 | 4 | 3 | 国鉄小浜線・小浜駅–若狭高浜駅間が開業[92] | |||
| 11 | 1922 | 4 | 11 | 改正鉄道敷設法公布、今津・三宅間が予定線の一部に[31] | |||
| 12 | 20 | 国鉄小浜線・敦賀駅–新舞鶴駅間が全通[92] | |||||
| 昭和 | 6 | 1931 | 1 | 1 | 江若鉄道線・浜大津駅–近江今津駅間が全線開業[95] | ||
| 10 | 1935 | 12 | 20 | 省営バス若江本線・新平野–若狭熊川間が開業[10] | |||
| 11 | 1936 | 6 | 15 | 省営バス若江本線・小浜–新平野間が開業[10] | |||
| 江若鉄道が今津・三宅間の延長を打ち切り[10] | |||||||
| 12 | 1937 | 12 | 21 | 省営バス若江本線・若狭熊川–近江今津間が開業[10] | |||
| 31 | 1956 | 3 | 北陸本線の電化方式を交流採用に決定[96] | ||||
| 36 | 1961 | 国鉄が近江今津駅–近江塩津駅間[注 8]の鉄道建設を計画[96] | |||||
| 44 | 1969 | 11 | 1 | 江若鉄道線(浜大津駅–近江今津駅間)が廃止[97] | 今津・上中間が国鉄若江線として計画線に[69] | ||
| 45 | 1970 | 5 | 18 | 全国新幹線鉄道整備法公布[98] | |||
| 48 | 1973 | 11 | 13 | 北陸新幹線整備計画を決定、「小浜市附近」が経由地に[99] | |||
| 49 | 1974 | 7 | 20 | 国鉄湖西線・山科駅–近江塩津駅間が開業[99] | |||
| 57 | 1982 | 9 | 24 | 整備新幹線計画を当面凍結と閣議決定[100] | |||
| 59 | 1984 | 国鉄経営再建のため、国鉄若江線が計画中止に[69] | |||||
| 62 | 1987 | 1 | 30 | 整備新幹線計画の凍結解除を閣議決定[101] | |||
| 4 | 1 | 国鉄民営化、鉄道敷設法廃止で国鉄若江線が法的根拠を喪失[11] | |||||
| 平成 | 元 | 1989 | 沿線自治体(小浜市・上中町・朽木村・今津町)が新線の検討を開始[13] | ||||
| 3 | 1991 | 7 | 29 | 沿線4市町村で琵琶湖・若狭湾リゾートライン研究会を設立[15][102] | |||
| 4 | 1992 | 9 | 7 | 琵琶湖・若狭湾リゾートライン鉄道建設および小浜線電化促進期成同盟会を設立[103] | |||
| 5 | 1993 | 8 | 11 | 琵琶湖・若狭湾リゾートライン鉄道建設促進期成同盟会を設立[97] | |||
| 12 | 1 | 県が嶺南地域鉄道需要予測調査の結果を公表[68] | |||||
| 6 | 1994 | 6 | 16 | 事業化を求める175,624人分の署名を県知事と県議会議長に提出[65] | |||
| 7 | 1995 | 1 | 31 | 福井・滋賀両県が事業化可能性調査の結果を公表[70][71] | |||
| 5 | 26 | 嶺南地域鉄道事業化検討協議会を設立[73] | |||||
| 8 | 1996 | 12 | 県が嶺南地域鉄道整備の基本的考え方「3点セット」をまとめる | ||||
| 9 | 1997 | 7 | 1 | 嶺南広域行政組合を設立[76]、嶺南鉄道整備促進基金を設置[104] | |||
| 12 | 2000 | 8 | 5 | 村上利夫が小浜市長に就任[105] | |||
| 11 | 25 | 促進期成同盟会が初の総決起大会[15][20] | |||||
| 14 | 2002 | 6 | 3 | 事業化検討協議会が新線建設・直流化事業の効果の調査結果を公表[106][107] | |||
| 6 | 8 | 小浜市で「新線実現住民の会」が発足[108] | |||||
| 6 | 22 | 新線の名称を「琵琶湖若狭湾快速鉄道」に変更[3] | |||||
| 11 | 「広域交通網整備促進上中町住民の会」が発足[69] | ||||||
| 15 | 2003 | 3 | 15 | JR小浜線電化開業[92] | |||
| 17 | 2005 | 1 | 1 | 高島郡6町村が合併、高島市発足 | |||
| 3 | 31 | 三方郡三方町と遠敷郡上中町が合併、三方上中郡若狭町発足 | |||||
| 18 | 2006 | 9 | 1 | 早期事業化を求める226,290人分の署名を県知事と県議会議長に提出[21] | |||
| 10 | 21 | 琵琶湖環状線(JR北陸本線・湖西線直流化)開業、新快速が敦賀まで乗り入れ[97] | |||||
| 19 | 2007 | 12 | 1 | 琵琶湖若狭湾快速鉄道建設促進協議会を設立[109] | |||
| 20 | 2008 | 8 | 5 | 松崎晃治が小浜市長に就任[105] | |||
| 28 | 2016 | 12 | 20 | 小浜市長・松崎晃治が快速鉄道計画の見直しを示唆[1] | 北陸新幹線敦賀以西が「小浜・京都ルート」に正式決定[110] | ||
| 29 | 2017 | 1 | 17 | 嶺南地域鉄道事業化検討協議会が建設基金の積み立て中止で合意[1] | |||
| 2 | 6 | 嶺南広域行政組合が積み立て中止で最終合意[1] | |||||
| 2 | 9 | 嶺南広域行政組合管理者が快速鉄道建設促進運動中止を表明[19] | |||||
| 2 | 22 | 小浜市役所の「快速鉄道早期実現」看板撤去[111] | |||||
| 3 | 28 | 高島市今津町の「快速鉄道早期実現」看板撤去[112] | |||||
| 令和 | 6 | 2024 | 3 | 16 | 北陸新幹線・金沢駅–敦賀駅間が開業[113] | ||
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ ただし、事業化に向けた協議では、JRと第三セクターのいずれが事業主体となるかは全く協議されていなかったという[7]。
- ↑ 2003年(平成15年)3月に事業完了[17]。
- ↑ 2006年(平成18年)10月に事業完了[17]。
- ↑ 嶺南4郡(敦賀・三方・遠敷・大飯)は、1876年(明治9年)8月から1881年(明治14年)2月まで約4年半の間、福井県から分轄され、滋賀県に併合されていた時期がある[40]。福井県への再編入後にも度々、滋賀県への「復県」運動が巻き起こり、明治20年代前半ごろまで嶺南・嶺北の地域対立の克服が福井県政の大きな課題とされた[41]。
- ↑ 後述する大正9年1月設立の江若鉄道株式会社(大津市)とは無関係である。
- ↑ なお、この省営バス(国営バス)は後に国鉄バス・JRバス若江線として引き継がれ、2025年(令和7年)現在も[56]運行を継続している[57]。
- ↑ 議論の結果、琵琶湖の東岸を経て長浜に至る案を決定[40]。
- ↑ 後に山科駅–近江塩津駅間に計画を変更[96]。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 「<80億円の使い道 快速鉄道を考える> (1)白紙撤回」『中日新聞 CHUNICHI Web』中日新聞社、2019年8月27日。オリジナルの2019年8月27日時点におけるアーカイブ。2026年2月21日閲覧。
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参考文献
[編集]- 天谷隆治 編『若狭地方の鉄道関係年表』1993年2月。福井県立若狭図書学習センター蔵。
- 岩谷恭弥(著)、立正大学地球環境科学部・大学院地球環境科学研究科・地球環境科学研究所(編)「西日本ジェイアールバス若江線における沿線地域住民および利用者の路線認識と評価」『地球環境研究』第23巻、立正大学地球環境科学部、熊谷、2021年3月、59–67頁、CRID 1050869602057790848。
- 大津市歴史博物館 編『江若鉄道の思い出』サンライズ出版、彦根、2015年2月。ISBN 978-4-88325-554-2。
- 小谷正典 著「第五章第四節 三 小浜線の敷設」、福井県 編『福井県史 通史編5 近現代 一』福井県文書館、福井、1994年11月、959–968頁。NDLJP:9541010/506。2026年2月26日閲覧。
- 小谷正典 (2016年10月15日). “九頭竜川と福井の鉄道―縦断する鉄道と横断する鉄道” (PDF). 福井県立大学図書館「九頭竜川プロジェクト」. 福井県立大学. pp. 1–8. 2024年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年2月26日閲覧。
- 小谷正典(著)、福井県立大学地域経済研究所(編)「福井県における鉄道網の歴史的変遷」(PDF)『ふくい地域経済研究』第40号、福井県立大学地域経済研究所、松岡町 (福井県)、2025年3月、51–63頁、国立国会図書館書誌ID:034061161、2026年2月27日閲覧。
- 小浜市史編纂委員会 編『小浜市史 通史編 下巻』小浜市、小浜、1998年3月。福井県内公共図書館蔵。
- 川島令三「琵琶湖・若狭湾リゾートライン」『全国鉄道事情大研究 北陸篇(1)』草思社、東京〈全国鉄道事情大研究〉、1995年6月、104–110頁。ISBN 4-7942-0616-X。
- 川島令三「琵琶湖・若狭湾リゾートラインの建設」『どうなる新線鉄道計画 西日本最新版』産調出版、東京、1998年1月、61–66頁。ISBN 4-88282-174-5。
- 川島令三「琵琶湖・若狭リゾートラインの構想」『新線鉄道計画徹底ガイド西日本編』山海堂、東京、2001年7月、129–132頁。ISBN 4-381-10389-0。
- 川島令三「特集② 琵琶湖・若狭湾快速鉄道」『中部ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 米原駅–加賀温泉駅』講談社、東京〈【図説】日本の鉄道〉、2010年8月、40–43頁。ISBN 978-4-06-270065-8。
- 国土交通省: “鉄道主要年表” (PDF). 国土交通省 (2024年3月). 2026年3月1日閲覧。
- “湖西を拓く―江若鉄道―” (PDF). 滋賀県立公文書館. pp. 1–10 (2011年). 2026年2月27日閲覧。
- 四方源太郎 (2025年9月4日). “小浜市民の悲願だった「琵琶湖若狭湾快速鉄道」”. note. 2026年6月30日閲覧。
- 芝田俊哉 著「小浜鉄道物語―地方鉄道の敷設計画とその挫折―」、小浜市教育委員会 編『わかさの近代』小浜市教育委員会、小浜〈小浜市史近現代史料研究 1〉、1993年1月、3–28頁。
- “嶺南地域公共交通計画” (PDF). 福井県嶺南地域公共交通活性化協議会 (2025年3月). 2026年2月27日閲覧。
- 森口誠之「小浜と京都を結ぶ小鶴線と若江線」『鉄道未成線を歩く 国鉄編』JTB、東京〈JTBキャンブックス〉、2002年6月、110–111頁。ISBN 4-533-04208-2。
- 渡邊誠 著「四. 琵琶湖若狭湾快速鉄道」、渡邊誠 編『鉄道友の会福井支部 創立50周年記念誌 ふくいの鉄道160年 〜ファンの見たふくいの鉄道いまむかし〜』(追補版)鉄道友の会福井支部、鯖江、2017年9月、127–128頁。ISBN 978-4-9909490-1-3。
関連項目
[編集]- 江若鉄道 - かつて滋賀県湖西地域で鉄道事業を運営していた民間鉄道会社
- 若江線 - 建設されないまま中止となった、同区間を結ぶ旧国鉄の計画路線
- 北陸新幹線敦賀以西のルート選定 - 新線建設促進運動の行方を左右した整備新幹線の延伸ルート問題
外部リンク
[編集]- 琵琶湖若狭湾快速鉄道の早期実現!(琵琶湖若狭湾快速鉄道建設促進期成同盟会事務局のページ) - ウェイバックマシン(2022年3月31日アーカイブ分)
