玉風福太郎
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玉風 福太郎(たまかぜ ふくたろう、1928年7月28日 - 没年不明 )は、群馬県吾妻郡中之条町出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は本多 福太郎(ほんだ ふくたろう)。身長180cm、体重87kg。最高位は東十両4枚目。得意手は左四つ、投げ。
来歴
[編集]1948年10月場所で初土俵。新序で好成績を残すと、序ノ口、序二段と連続して優勝するなど勢いは止まらず、初土俵から5場所で幕下に昇進した。幕下でも好成績を残し、1952年1月場所に十両に昇進。この場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落するが、1953年1月場所に十両に復帰すると、十両に定着する。3月場所では10勝5敗の好成績を挙げ、優勝争いを演じたが惜しくも次点に終わる。その後は一進一退の状態が続いていたが、 1955年1月場所では久々に好調な土俵を披露し、再び10勝5敗の好成績をあげ優勝を争うもまたしても次点に終わった。翌3月場所は自己最高位となる東十両4枚目まで番付を上げるが、4勝11敗と大きく負け越し、入幕はならなかった。 1957年1月場所は東十両20枚目で3勝12敗の大負け。翌3月場所で幕下に陥落。 1957年9月場所限りで廃業。廃業後は運送業に従事した。
主な成績
[編集]- 通算成績:238勝221敗2休 勝率.519
- 十両成績:125勝145敗 勝率.463
- 現役在位:33場所
- 十両在位:18場所
- 各段優勝
- 序二段優勝:1回(1949年5月場所)
- 序ノ口優勝:1回(1949年1月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1948年 (昭和23年) |
x | x | x | 新序 4–1 |
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1949年 (昭和24年) |
東序ノ口筆頭 優勝 9–3 |
x | 東序二段3枚目 優勝 13–2 |
西三段目12枚目 10–5 |
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1950年 (昭和25年) |
西幕下24枚目 10–5 |
x | 東幕下12枚目 8–7 |
西幕下10枚目 8–7 |
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1951年 (昭和26年) |
西幕下7枚目 5–10 |
x | 東幕下15枚目 9–6 |
西幕下7枚目 10–5 |
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1952年 (昭和27年) |
西十両16枚目 6–9 |
x | 西幕下3枚目 5–10 |
東幕下8枚目 11–4 |
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1953年 (昭和28年) |
西十両18枚目 8–7 |
東十両18枚目 10–5 |
西十両13枚目 5–10 |
東十両20枚目 8–7 |
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1954年 (昭和29年) |
西十両19枚目 10–5 |
東十両7枚目 7–8 |
東十両8枚目 7–8 |
西十両10枚目 7–8 |
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1955年 (昭和30年) |
西十両11枚目 10–5 |
東十両4枚目 4–11 |
西十両9枚目 6–9 |
西十両11枚目 6–9 |
||
1956年 (昭和31年) |
西十両15枚目 7–8 |
東十両16枚目 7–8 |
東十両17枚目 7–8 |
東十両19枚目 7–8 |
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1957年 (昭和32年) |
東十両20枚目 3–12 |
東幕下2枚目 3–3–2 |
東幕下筆頭 3–5 |
東幕下5枚目 引退 5–3–0 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 玉風 福太郎(たまかぜ ふくたろう)1948年10月場所 - 1956年3月場所
- 玉風 龍士郎(たまかぜ りゅうしろう)1956年5月場所 - 1956年9月場所
- 玉風 福太郎(たまかぜ ふくたろう)1957年1月場所 - 1957年9月場所
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 玉風 福太郎 - 相撲レファレンス