「スミス&ウェッソン」の版間の差分

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しかしウォルターが病に倒れると、ジョセフが次の社長として正式に就任した。ジョセフは元々技術畑出身の人間であり、今あるリボルバーのリバウンドスライドや、1917リボルバーなどのハーフムーンクリップは彼の発明による。ちょうどその頃[[第一次世界大戦]]が勃発。S&Wも軍からの増産要求に応えて大量の銃器を生産し続けた。しかし大戦終結に伴って軍用銃の放出、安価な輸入品の流入、そして戦争の反動による銃への反対運動などが会社を窮地に追い込んだ。
 
ジョセフの死によって社長に就任した、甥でフランクの遺児のハロルドは、様々な方策を立てて会社の建て直しに苦心した。[[便所|トイレ]]の[[フラッシュバルブ (栓)|フラッシュバルブ]]部品や安全[[剃刀]]の刃研ぎ器などを作り、失笑を買ったこともあったという。更に32ACPオートや22シングルショットの売れ行き不振で窮地に立たされたハロルドが、英軍に強引に契約させた新型突撃銃開発プロジェクトが頓挫、前納金100万ドルの返納を要求され、とうとうS&Wの経営は行き詰まる。
 
そして不振打開のための経営コンサルタントとして招致されたヘルストロムが、S&W中興の祖となった。ヘルストロムは高給と工場の自由裁量権をハロルドに認めさせると、事態の打開に乗り出した。新型突撃銃の開発能力欠如を社に認めさせ、英軍とは前納金をリボルバーの物納で弁済する交渉を成功させたのである。その後第二次世界大戦中、ヘルストロムは工場における生産を監督し続け、新工場を建設するまでに業績を回復させた。世界大戦の終了により一旦休暇を取って社の経営から離れたヘルストロムであったが、1946年にハロルドが他界すると、S&W一族と役員会の決定により、当時副社長だったヘルストロムが新社長に選出された。

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