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'''ニネヴェ'''({{lang-en|Nineveh}})は、古代[[メソポタミア]]北部にあった[[アッシリア]]の都市。アッシリア帝国の後期には首都が置かれた。なお、ニネヴェという名は[[旧約聖書]]([[ヨナ書]]など)の表記によるものであり、[[アッカド語]]では'''ニヌア'''と呼ばれる。[[新改訳聖書]]では、ニネベと表記される。現在は、対岸の[[モースル]]市域に含まれる。
'''ニネヴェ'''({{lang-en|Nineveh}})は、古代[[メソポタミア]]北部にあった[[アッシリア]]の都市<ref>{{Cite web |url = https://kotobank.jp/word/ニネベ-110025 |title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-03-04 }}</ref>。アッシリア帝国の後期には首都が置かれた。なお、ニネヴェという名は[[旧約聖書]]([[ヨナ書]]など)の表記によるものであり、[[アッカド語]]では'''ニヌア'''と呼ばれる。[[新改訳聖書]]では、ニネベと表記される。現在は、対岸の[[モースル]]市域に含まれる。


== 遺跡 ==
== 遺跡 ==

2018年3月4日 (日) 06:59時点における版

ニネヴェ
アダド門(1960年代の復元)
古代メソポタミアにおけるニネヴェの位置
所在地 イラクの旗 イラク モースル
地域 メソポタミア
種類 都市
面積 7.5 km2
歴史
放棄 紀元前612年
文化 アッシリア
出来事 ニネヴェの戦い

ニネヴェ英語: Nineveh)は、古代メソポタミア北部にあったアッシリアの都市[1]。アッシリア帝国の後期には首都が置かれた。なお、ニネヴェという名は旧約聖書ヨナ書など)の表記によるものであり、アッカド語ではニヌアと呼ばれる。新改訳聖書では、ニネベと表記される。現在は、対岸のモースル市域に含まれる。

遺跡

チグリス川沿いの現代の都市モースルの対岸(東岸)に存在する。クユンジクとネビ・ユヌスという二つの丘からなるが、ネビ・ユヌスは現在イスラム教の聖地となっているため調査はほぼ行われておらず、ニネヴェに関する現代の知識はクユンジクの調査に依存している。19世紀半ばから繰り返し調査が行われているが、なお十分とはいえない。

さらに、2014年からは過激派組織ISILによって、遺跡の破壊と略奪が行われているが、情報の真偽があいまいな報道もある(#保存状態も参照)。

歴史

ニネヴェの地図

ニネヴェはアッシリアの首都であった時代が有名であるが、紀元前7千年紀から人が居住を始めた非常に古い街である。初期の歴史については不明点が多い。既に古アッシリア時代(アッシリアの時代区分についてはアッシリアの項目を参照)にはアッシリアの重要都市の1つであった。

新アッシリア王国時代に、センナケリブがニネヴェに遷都して以降、帝国の首都として大規模な建築事業や都市の拡張が行われた。この時期に街は二重の城壁で囲まれ、クユンジクの丘には宮殿が相次いで建設された。アッシュールバニパル王の図書館があったのはこの都市であり、バビロンにあったとされる空中庭園は実際にはニネヴェにあったとする説もある。

紀元前612年メディアバビロニアスキタイの攻撃を受けてニネヴェは陥落し破壊された。その後も小規模の都市として存続したが、かつての重要性は失われ、一帯の中心は対岸のモスルに移った。なおモスルは現在も、クルド人からニネヴェ、ネストリウス派キリスト教アッシリア人からはニネワとよばれており、モスルを県都とするイラクの県、ニーナワー県もニネヴェの名に由来する。

627年ビザンティン帝国サーサーン朝ペルシアの間で争われた東ローマ・サーサーン戦争 (602年-628年)のクライマックスのニネヴェの戦い (627年)は、この都の廃墟の近郊の平原で開かれ、ビザンティン帝国がサーサーン朝軍を破った。

旧約聖書

旧約聖書では以下の四つで言及されている。[2]

  1. ニムロデがニネベとケラフを建てた[3]
  2. ニネベを都としたセナケリブがこの都で殺された[4]
  3. ニネベ陥落に関する預言[5]
  4. ニネベに使わされた預言者ヨナの物語。ヨナの宣教によってニネベの王と住民は悔い改めて、神の審判が回避された。[6]

保存状態

21世紀イラクシリアで台頭したサラフィー・ジハード主義組織のISILは、イスラム教成立以前の遺跡・遺物の破壊や略奪を公言していた。2014年6月9日、ISILはイラク領のモースルを占領した。ISILは「イスラム教を歪曲している」と主張し、博物館に保管されていた遺物を押収し、アッシリア時代やネストリウス派など、他宗教の建造物を破壊した[7][8]

2015年1月27日、ニーナワー県の情報筋によるとして、ISILは遺跡の破壊を再開し、紀元前8世紀建築と推定されるニネヴェ城壁を爆破し、その大半を破壊したと報じられた[9][10][11]。しかしその後、城壁は無傷だったと指摘されている[12]。この城壁は、イラクと周辺地域にとって最重要の遺跡の一つとみられている。

脚注

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年3月4日閲覧。
  2. ^ 新約聖書では言及がなく、マタイの福音書12章41節、ルカの福音書11章30節、11章32節で「ニネベ人」「ニネベ市民」という意味の「ニニューイテース」というギリシア語が使われている。
  3. ^ 創世記10章11-12節
  4. ^ 第二列王記19章36節、イザヤ書37章37節
  5. ^ ナホム書1章1節、ナホム2章8節、ナホム3章7節、ゼパニヤ書2章13節
  6. ^ ヨナ書1章2節、ヨナ書3章2節-7節、ヨナ書4章11節
  7. ^ 武装勢力に破壊されるイラクの文化遺産―預言者ヨナの墓も 2014 年 7 月 27 日 09:29 JST - ウォール・ストリート・ジャーナル NOUR MALAS
  8. ^ ISIS Threatens to Blow Up the Historical Walls of Nineveh Posted 2015-01-02 00:01 GMT - アッシリア国際通信社(英語)
  9. ^ ISIS resumes bombing historical effects and destroys the historic wall of Nineveh Wednesday, 28 January 2015 10:49 - Shafaq(バグダッドのFMラジオ局)(英語)
  10. ^ ISIS Bombed Historic Walls of Nineveh in Iraq Posted 2015-01-28 20:02 GMT - アッシリア国際通信社(英語)
  11. ^ イスラム国、貴重な歴史的遺産・ニネヴェ城壁を爆破 歴史 最終更新日:2015.01.30 / 公開日:2015.01.29 - The New Classic 石田健
  12. ^ Report just in from #Mosul archaeologist: walls of #Nineveh still intact, 9am Iraqi time today. "No trace of damage or exploding at all" - Twitter en:Eleanor Robson(英語)

参考文献

関連項目