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'''山瀬 幸宏'''(やませ ゆきひろ、[[1984年]][[4月22日]] - )は、[[北海道]][[札幌市]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]、指導者。ポジションは[[ミッドフィールダー]]。
'''山瀬 幸宏'''(やませ ゆきひろ、[[1984年]][[4月22日]] - )は、[[北海道]][[札幌市]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]、指導者。ポジションは[[ミッドフィールダー]]。

2016年11月30日 (水) 12:43時点における版

山瀬 幸宏
名前
愛称 山ちゃん、ユッキ、Y氏、山P[1]
カタカナ ヤマセ ユキヒロ
ラテン文字 YAMASE Yukihiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-04-22) 1984年4月22日(40歳)
出身地 北海道札幌市
身長 176cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
ユース
2000-2003 日本の旗 横浜F・マリノス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2009 日本の旗 横浜F・マリノス 46 (4)
2009-2011 日本の旗 サガン鳥栖 52 (4)
2012-2013 日本の旗 カターレ富山 11 (0)
2014 日本の旗 FC大阪 4 (0)
通算 113 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山瀬 幸宏(やませ ゆきひろ、1984年4月22日 - )は、北海道札幌市出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはミッドフィールダー

実兄はサッカー選手の山瀬功治。父はサラエボ冬季五輪バイアスロンで出場した山瀬功

来歴

札幌SSS札幌SSSジュニアユースに所属していた。同期生に矢野哲也がいた。 その後横浜F・マリノスユースを経て、2003年から横浜F・マリノスに入団。2007年はリーグ戦第4節からスタメンに定着。第7節の大分戦では、前半11分に自らの23歳の誕生日を祝うプロ入り初ゴール。さらに後半43分には幸宏のアシストで兄もゴールを決め、Jリーグ史上2組目となる同一試合兄弟アベック弾というおまけがついた。続く第8節の新潟戦、第19節の横浜FC戦でも兄弟アベック弾を達成した。なお、これらの試合ではそれぞれ5, 6, 8得点とチームも大量得点を挙げて勝利している。

2008年シーズンは主に右サイドで起用されたが、逆足(右足)でのプレーが不得手なため、精彩を欠くプレーが多かった。

2009年シーズン途中よりサガン鳥栖に期限付き移籍。主にフォワードとして起用された。

2010年1月8日、サガン鳥栖への完全移籍が発表された。

2011年契約満了により退団[2]カターレ富山に完全移籍した。

2013年シーズン終了後、契約満了により退団[3]

2014年FC大阪へ移籍[4]し、同年12月に契約満了し退団[5]

2015年1月に引退し、同年より古巣のSSSスポーツクラブのコーチに就任した[6]

プレースタイル

「ヌルヌルドリブル」と表現される左足でのキープ力が魅力。兄である山瀬功治と同じ強烈なミドルシュートを放つことができる。

人物

  • 愛称の「Y氏」はキックオフ!!F・マリノスの番組中に、寮の部屋のレポーター役をしていた尾本敬に「某Y氏」と呼ばれたことに端を発し、司会(当時)の水沼貴史がそう呼ぶようになったのが由来である。また、知人からは「ユッキ君」とも呼ばれている[7]
  • コンサドーレ札幌のユースへの入団を考えていたが、その札幌のトップチームに入団が既に決まっていた兄から横浜のユースを勧められて、進路を決めたという。
  • 2005年のACLでは、兄・功治がリーグで使用している背番号10で出場した。これは、ACLでは背番号がレギュレーションで30以下に制限されており(そのため背番号35の河合竜二も20で出場した)、兄が怪我のため選手登録されていなかったためである。
  • 整理整頓が出来ず、部屋が汚いことがテレビなどで暴露されている。そのためか、趣味は漫画喫茶に出かける事。「あそこ(漫画喫茶)には全てがある」と、チームメイト(横浜FM所属時)の小宮山尊信を引き込んだこともある。
  • Jリーグ初出場となった2005年5月8日のサンフレッチェ広島戦では兄弟揃ってボランチとして出場し、チームは久々の勝利を挙げた。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 横浜FM 32 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2004 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 1 0 0 0 0 0 1 0
2006 6 0 0 0 1 0 7 0
2007 30 4 8 1 1 0 39 5
2008 16 9 0 4 1 0 0 13 1
2009 0 0 0 0 - 0 0
鳥栖 34 J2 24 2 - 3 2 27 4
2010 7 21 2 - 2 2 23 4
2011 7 0 - 1 1 8 1
2012 富山 14 8 0 - 0 0 8 0
2013 3 0 - 0 0 3 0
2014 FC大阪 28 関西1部 4 0 - 1 0 5 0
通算 日本 J1 46 4 12 2 2 0 60 6
日本 J2 63 4 - 6 5 69 9
日本 関西1部 4 0 - 1 0 5 0
総通算 113 8 12 2 9 5 134 15
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2004 横浜FM 32 1 0
2005 10 1 0
通算 AFC 2 0


脚注

  1. ^ ハーフナー・マイク オフィシャルブログ「Tell’eM」12月10日より
  2. ^ サガン鳥栖 契約満了選手についてサガン鳥栖オフィシャルサイト ニュース2011年12月2日
  3. ^ 契約満了選手のお知らせカターレ富山オフィシャルサイト ニュース2013年11月29日
  4. ^ MF 山瀬幸宏選手 完全移籍加入決定のお知らせFC大阪オフィシャルサイト 2014年3月6日
  5. ^ 契約満了選手のお知らせFC大阪オフィシャルサイト 2014年12月15日
  6. ^ よろしくお願い致します!スタッフ日記 | SSS札幌サッカースクール公式サイト 2015年9月9日
  7. ^ 本多玲奈のLEINA'S BLOG - 兄である山瀬功治の夫人の友人のブログ

関連項目