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'''ニネヴェ'''({{lang-en|Nineveh}})は、古代[[メソポタミア]]北部にあった[[アッシリア]]の都市。アッシリア帝国の後期には首都が置かれた。なお、ニネヴェという名は[[旧約聖書]]([[ヨナ書]]など)の表記によるものであり、[[アッカド語]]では'''ニヌア'''と呼ばれる。[[新改訳聖書]]では、ニネベと表記される。現在は、対岸の[[モースル]](モスル)市域に含まれる。
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'''ニネヴェ'''({{lang-en|Nineveh}})は、古代[[メソポタミア]]北部にあった[[アッシリア]]の都市。アッシリア帝国の後期には首都が置かれた。なお、ニネヴェという名は[[旧約聖書]]([[ヨナ書]]など)の表記によるものであり、[[アッカド語]]では'''ニヌア'''と呼ばれる。[[新改訳聖書]]では、ニネベと表記される。現在は、対岸の[[モースル]]市域に含まれる。


== 遺跡 ==
== 遺跡 ==
[[チグリス川]]沿いの現代の都市モースルの対岸(東岸)に存在する。クユンジクとネビ・ユヌスという二つの丘からなるが、ネビ・ユヌスは現在[[イスラム教]]の聖地となっているため調査はほぼ行われておらず、ニネヴェに関する現代の知識はクユンジクの調査に依存している。[[19世紀]]半ばから繰り返し調査が行われているが、なお十分とはいえない。
[[チグリス川]]沿いの現代の都市モースルの対岸(東岸)に存在する。クユンジクとネビ・ユヌスという二つの丘からなるが、ネビ・ユヌスは現在[[イスラム教]]の聖地となっているため調査はほぼ行われておらず、ニネヴェに関する現代の知識はクユンジクの調査に依存している。[[19世紀]]半ばから繰り返し調査が行われているが、なお十分とはいえない。


さらに、[[2014年]]からは[[イスラーム国]]によって、遺跡の破壊と略奪が行われているが、情報の真偽があいまいな報道もある([[#歴史]]も参照)。
さらに、[[2014年]]からは[[イスラーム国]]によって、遺跡の破壊と略奪が行われているが、情報の真偽があいまいな報道もある([[#保存状態]]も参照)。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[ファイル:Nineveh map city walls & gates.JPG|thumb|left|160px|ニネヴェの地図]]
ニネヴェはアッシリアの首都であった時代が有名であるが、[[紀元前7千年紀]]から人が居住を始めた非常に古い街である。初期の歴史については不明点が多い。既に古アッシリア時代(アッシリアの時代区分については[[アッシリア]]の項目を参照)にはアッシリアの重要都市の1つであった。
ニネヴェはアッシリアの首都であった時代が有名であるが、[[紀元前7千年紀]]から人が居住を始めた非常に古い街である。初期の歴史については不明点が多い。既に古アッシリア時代(アッシリアの時代区分については[[アッシリア]]の項目を参照)にはアッシリアの重要都市の1つであった。


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[[紀元前612年]]、[[メディア王国|メディア]]と[[バビロニア]]と[[スキタイ]]の攻撃を受けてニネヴェは陥落し破壊された。その後も小規模の都市として存続したが、かつての重要性は失われ、一帯の中心は対岸の[[モースル|モスル]]に移った。なおモスルは現在も、[[クルド人]]からニネヴェ、[[ネストリウス派]][[キリスト教]]の[[アッシリア人]]からはニネワとよばれており、モスルを県都とするイラクの県、[[ニーナワー県]]もニネヴェの名に由来する。
[[紀元前612年]]、[[メディア王国|メディア]]と[[バビロニア]]と[[スキタイ]]の攻撃を受けてニネヴェは陥落し破壊された。その後も小規模の都市として存続したが、かつての重要性は失われ、一帯の中心は対岸の[[モースル|モスル]]に移った。なおモスルは現在も、[[クルド人]]からニネヴェ、[[ネストリウス派]][[キリスト教]]の[[アッシリア人]]からはニネワとよばれており、モスルを県都とするイラクの県、[[ニーナワー県]]もニネヴェの名に由来する。
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[[2015年]][[1月27日]]、ニーナワー県の情報筋によるとして、イスラーム国は遺跡の破壊を再開し、[[紀元前8世紀]]建築と推定されるニネヴェ城壁を爆破し、その大半を破壊したと報じられた<ref>[http://www.english.shafaaq.com/index.php/security/13060-isis-resumes-bombing-historical-effects-and-destroys-the-historic-wall-of-nineveh ISIS resumes bombing historical effects and destroys the historic wall of Nineveh Wednesday, 28 January 2015 10:49] - Shafaq([[バグダード|バグダッド]]のFMラジオ局){{en icon}}</ref><ref>[http://www.aina.org/news/20150128150209.htm ISIS Bombed Historic Walls of Nineveh in Iraq Posted 2015-01-28 20:02 GMT] - アッシリア国際通信社{{en icon}}</ref><ref>[http://newclassic.jp/19343 イスラム国、貴重な歴史的遺産・ニネヴェ城壁を爆破 歴史 最終更新日:2015.01.30 / 公開日:2015.01.29] - [[The New Classic]] 石田健</ref>。しかしその後、城壁は無傷だったと指摘されている<ref>[https://twitter.com/Eleanor_Robson/status/561135033134899200 Report just in from #Mosul archaeologist: walls of #Nineveh still intact, 9am Iraqi time today. "No trace of damage or exploding at all"] - [[Twitter]] [[:en:Eleanor Robson]]{{en icon}}</ref>。この城壁は、イラクと周辺地域にとって最重要の遺跡の一つとみられている。

== 旧約聖書 ==
== 旧約聖書 ==
旧約聖書では以下の四つで言及されている。<ref>新約聖書では言及がなく、[[マタイの福音書]]12章41節、[[ルカの福音書]]11章30節、11章32節で「ニネベ人」「ニネベ市民」という意味の「ニニューイテース」というギリシア語が使われている。</ref>
旧約聖書では以下の四つで言及されている。<ref>新約聖書では言及がなく、[[マタイの福音書]]12章41節、[[ルカの福音書]]11章30節、11章32節で「ニネベ人」「ニネベ市民」という意味の「ニニューイテース」というギリシア語が使われている。</ref>
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#ニネベ陥落に関する預言<ref>[[ナホム書]]1章1節、ナホム2章8節、ナホム3章7節、[[ゼパニヤ書]]2章13節</ref>
#ニネベ陥落に関する預言<ref>[[ナホム書]]1章1節、ナホム2章8節、ナホム3章7節、[[ゼパニヤ書]]2章13節</ref>
#ニネベに使わされた預言者[[ヨナ]]の物語。ヨナの宣教によってニネベの王と住民は悔い改めて、神の審判が回避された。<ref>[[ヨナ書]]1章2節、ヨナ書3章2節-7節、ヨナ書4章11節</ref>
#ニネベに使わされた預言者[[ヨナ]]の物語。ヨナの宣教によってニネベの王と住民は悔い改めて、神の審判が回避された。<ref>[[ヨナ書]]1章2節、ヨナ書3章2節-7節、ヨナ書4章11節</ref>

== 保存状態 ==
[[21世紀]]に[[イラク]]、[[シリア]]で台頭した[[サラフィー・ジハード主義]]組織の[[イスラーム国]]は、[[イスラム教]]成立以前の遺跡・遺物の破壊や略奪を公言していた。[[2014年]][[6月9日]]、イスラーム国はイラク領のモースルを占領した。イスラーム国は「イスラム教を歪曲している」と主張し、博物館に保管されていた遺物を押収し、アッシリア時代やネストリウス派など、他宗教の建造物を破壊した<ref>[http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304067104580054123526620714 武装勢力に破壊されるイラクの文化遺産―預言者ヨナの墓も 2014 年 7 月 27 日 09:29 JST] - [[ウォール・ストリート・ジャーナル]] NOUR MALAS</ref><ref>[http://www.aina.org/news/20150101190138.htm ISIS Threatens to Blow Up the Historical Walls of Nineveh Posted 2015-01-02 00:01 GMT] - [[アッシリア国際通信社]]{{en icon}}</ref>。

[[2015年]]1月27日、ニーナワー県の情報筋によるとして、イスラーム国は遺跡の破壊を再開し、[[紀元前8世紀]]建築と推定されるニネヴェ城壁を爆破し、その大半を破壊したと報じられた<ref>[http://www.english.shafaaq.com/index.php/security/13060-isis-resumes-bombing-historical-effects-and-destroys-the-historic-wall-of-nineveh ISIS resumes bombing historical effects and destroys the historic wall of Nineveh Wednesday, 28 January 2015 10:49] - Shafaq([[バグダード|バグダッド]]のFMラジオ局){{en icon}}</ref><ref>[http://www.aina.org/news/20150128150209.htm ISIS Bombed Historic Walls of Nineveh in Iraq Posted 2015-01-28 20:02 GMT] - アッシリア国際通信社{{en icon}}</ref><ref>[http://newclassic.jp/19343 イスラム国、貴重な歴史的遺産・ニネヴェ城壁を爆破 歴史 最終更新日:2015.01.30 / 公開日:2015.01.29] - [[The New Classic]] 石田健</ref>。しかしその後、城壁は無傷だったと指摘されている<ref>[https://twitter.com/Eleanor_Robson/status/561135033134899200 Report just in from #Mosul archaeologist: walls of #Nineveh still intact, 9am Iraqi time today. "No trace of damage or exploding at all"] - [[Twitter]] [[:en:Eleanor Robson]]{{en icon}}</ref>。この城壁は、イラクと周辺地域にとって最重要の遺跡の一つとみられている。


==脚注==
==脚注==
{{Reflist|2}}
<references/>


==参考文献==
==参考文献==
*『[[新聖書辞典]]』[[いのちのことば社]]、1985年
*『[[新聖書辞典]]』[[いのちのことば社]]、1985年


== 関連項目 ==
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* [[アッシリア]]
* [[アッシュール]]


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2015年2月8日 (日) 07:34時点における版

ニネヴェ
ニヌア
アダド門(1960年代の復元)
古代メソポタミアにおけるニネヴェの位置
所在地 イラクの旗 イラク モースル
地域 メソポタミア
種類 都市
面積 7.5 km2
歴史
放棄 紀元前612年
文化 アッシリア
出来事 ニネヴェの戦い

ニネヴェ英語: Nineveh)は、古代メソポタミア北部にあったアッシリアの都市。アッシリア帝国の後期には首都が置かれた。なお、ニネヴェという名は旧約聖書ヨナ書など)の表記によるものであり、アッカド語ではニヌアと呼ばれる。新改訳聖書では、ニネベと表記される。現在は、対岸のモースル市域に含まれる。

遺跡

チグリス川沿いの現代の都市モースルの対岸(東岸)に存在する。クユンジクとネビ・ユヌスという二つの丘からなるが、ネビ・ユヌスは現在イスラム教の聖地となっているため調査はほぼ行われておらず、ニネヴェに関する現代の知識はクユンジクの調査に依存している。19世紀半ばから繰り返し調査が行われているが、なお十分とはいえない。

さらに、2014年からはイスラーム国によって、遺跡の破壊と略奪が行われているが、情報の真偽があいまいな報道もある(#保存状態も参照)。

歴史

ニネヴェの地図

ニネヴェはアッシリアの首都であった時代が有名であるが、紀元前7千年紀から人が居住を始めた非常に古い街である。初期の歴史については不明点が多い。既に古アッシリア時代(アッシリアの時代区分についてはアッシリアの項目を参照)にはアッシリアの重要都市の1つであった。

新アッシリア王国時代に、センナケリブがニネヴェに遷都して以降、帝国の首都として大規模な建築事業や都市の拡張が行われた。この時期に街は二重の城壁で囲まれ、クユンジクの丘には宮殿が相次いで建設された。アッシュールバニパル王の図書館があったのはこの都市であり、バビロンにあったとされる空中庭園は実際にはニネヴェにあったとする説もある。

紀元前612年メディアバビロニアスキタイの攻撃を受けてニネヴェは陥落し破壊された。その後も小規模の都市として存続したが、かつての重要性は失われ、一帯の中心は対岸のモスルに移った。なおモスルは現在も、クルド人からニネヴェ、ネストリウス派キリスト教アッシリア人からはニネワとよばれており、モスルを県都とするイラクの県、ニーナワー県もニネヴェの名に由来する。

旧約聖書

旧約聖書では以下の四つで言及されている。[1]

  1. ニムロデがニネベとケラフを建てた[2]
  2. ニネベを都としたセナケリブがこの都で殺された[3]
  3. ニネベ陥落に関する預言[4]
  4. ニネベに使わされた預言者ヨナの物語。ヨナの宣教によってニネベの王と住民は悔い改めて、神の審判が回避された。[5]

保存状態

21世紀イラクシリアで台頭したサラフィー・ジハード主義組織のイスラーム国は、イスラム教成立以前の遺跡・遺物の破壊や略奪を公言していた。2014年6月9日、イスラーム国はイラク領のモースルを占領した。イスラーム国は「イスラム教を歪曲している」と主張し、博物館に保管されていた遺物を押収し、アッシリア時代やネストリウス派など、他宗教の建造物を破壊した[6][7]

2015年1月27日、ニーナワー県の情報筋によるとして、イスラーム国は遺跡の破壊を再開し、紀元前8世紀建築と推定されるニネヴェ城壁を爆破し、その大半を破壊したと報じられた[8][9][10]。しかしその後、城壁は無傷だったと指摘されている[11]。この城壁は、イラクと周辺地域にとって最重要の遺跡の一つとみられている。

脚注

参考文献

関連項目