「景公 (斉)」の版間の差分
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|王朝 =斉 |
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|在位期間 =[[紀元前547年|前547年]] - [[紀元前490年|前490年]] |
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|諱 =姜杵臼 |
|諱 =姜杵臼 |
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兄の荘公が[[横死]]したあと、[[崔杼]]に擁立されて斉公となる。崔杼の死後は[[晏嬰]]を宰相として据え、軍事面では晏嬰の推薦により[[司馬穰苴]]を抜擢した。斉は景公のもとで覇者[[桓公 (斉)|桓公]]の時代に次ぐ第2の栄華期を迎え、[[孔子]]も斉での仕官を望んだほどである。しかし、これらの斉の繁栄は晏嬰の手腕によるもので、景公自身は贅沢を好んだ暗君として史書に描かれる場合が多い。 |
兄の荘公が[[横死]]したあと、[[崔杼]]に擁立されて斉公となる。崔杼の死後は[[晏嬰]]を宰相として据え、軍事面では晏嬰の推薦により[[司馬穰苴]]を抜擢した。斉は景公のもとで覇者[[桓公 (斉)|桓公]]の時代に次ぐ第2の栄華期を迎え、[[孔子]]も斉での仕官を望んだほどである。しかし、これらの斉の繁栄は晏嬰の手腕によるもので、景公自身は贅沢を好んだ暗君として史書に描かれる場合が多い。 |
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{{姜斉の君主|第26代|前547年 - 前490年}} |
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