哀公 (斉)
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哀公 姜不辰 | |
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斉 | |
第5代公 | |
王朝 | 斉 |
在位期間 | 不詳 - 前863年 |
都城 | 営丘 |
姓・諱 | 姜不辰 |
諡号 | 哀公 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前863年 |
父 | 癸公 |
哀公(あいこう、? - 紀元前863年)は斉の第5代君主。癸公の子。
生涯[編集]
- ※特に注を付さない限り、『史記』「斉太公世家」による。
癸公が薨去したため、姜不辰が立って斉君となる(以降は「哀公」と表記)。
紀侯の讒言により周の夷王によって釜茹での刑(烹)に処せられる。
哀公の薨去後、異母弟の姜静が立って斉君(胡公)となった。同母弟に姜山(のちに献公)がいる。
史料[編集]
ウィキソースに以下の原文があります。
- 史記(繁体字中国語)
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