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*日本生理学会常任[[幹事]] (1978年-1993年)、日本内分泌学会[[理事]] (1982年-1995年)、日本神経科学学会理事(1986年-1992年)などのほか、国外のアメリカ内分泌学会にも所属している。
*日本生理学会常任[[幹事]] (1978年-1993年)、日本内分泌学会[[理事]] (1982年-1995年)、日本神経科学学会理事(1986年-1992年)などのほか、国外のアメリカ内分泌学会にも所属している。
=== 大学入試センター時代 ===
=== 大学入試センター時代 ===
*1997年度、数学では旧課程履修者、新課程履修者(現役生)のために2種類の試験科目が設けられた。しかし、学力の比較としての用を全く成さないほどの難易度の差(平均点22点差)があったことが判明した。謝罪や具体的な対応は無く、却って試験同士の難易度の事前調整という基本的な事すら行っていなかったことを露呈する結果となった。NHKのクローズアップ現代において、責任者として取材に答えた際のコメントは、「人生はもっと辛い事があるのだから(このような事などした事ではない)」であった。
*1997年度、数学では旧課程履修者、新課程履修者(現役生)のために2種類の試験科目が設けられた。しかし、学力の比較としての用を全く成さないほどの難易度の差(平均点22点差)があったことが判明した。謝罪や具体的な対応は無く、却って試験同士の難易度の事前調整という基本的な事すら行っていなかったことを露呈する結果となった。NHKのクローズアップ現代において、責任者として取材に答えた際のコメントは、「人生はもっと辛い事があるのだから(このような事などした事ではない)」であった。


== 研究対象 ==
== 研究対象 ==

2011年5月21日 (土) 11:02時点における版

廣重 力(ひろしげ つとむ、1931年 - )は、日本医学者医学博士

来歴

所属学会

  • 日本生理学会常任幹事 (1978年-1993年)、日本内分泌学会理事 (1982年-1995年)、日本神経科学学会理事(1986年-1992年)などのほか、国外のアメリカ内分泌学会にも所属している。

大学入試センター時代

  • 1997年度、数学では旧課程履修者、新課程履修者(現役生)のために2種類の試験科目が設けられた。しかし、学力の比較としての用を全く成さないほどの難易度の差(平均点22点差)があったことが判明した。謝罪や具体的な対応は無く、却って試験同士の難易度の事前調整という基本的な事すら行っていなかったことを露呈する結果となった。NHKのクローズアップ現代において、責任者として取材に答えた際のコメントは、「人生はもっと辛い事があるのだから(このような事など大した事ではない)」であった。

研究対象

脳ホルモン行動などの神経内分泌学、生物時計の領域の神経科学を対象とするが、科学と価値観や心脳問題(特に意識など)といった科学教育にも力を注いでいる。

受賞学術賞

  • 北海道医師会賞 (1984年)
  • 北海道知事賞 (1984年)
  • 瑞宝重光章(2007年)

主著

  • 『脳のホルモン』 (共著) (朝倉書店 、1973年 )
  • 『現代産婦人科学大系、年刊追捕』(中山書店 、1978年 )
  • 『総合栄養学事典』 (同文書院 、1981年 )
  • 『神経内分泌学』 (「神経科学レビュー 1」 医学書院 、1987年 )
  • 『生物リズムの研究』 (北海道大学図書刊行会 、1989年 )
  • 『標準生理学 (第2版)』 (医学書院 、1989年 )

など多数の学術書、研究書を出している

先代
富田喜内
北海道医療大学学長
第4代: 1999年2006年
次代
松田一郎
先代
寺田一壽男
学校法人東日本学園理事長
第5代: 2005年 ‐
次代
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