「景公 (斉)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
22行目: | 22行目: | ||
|注釈 = |
|注釈 = |
||
}} |
}} |
||
'''景公'''(けいこう)は、[[春秋時代]]の[[斉 (春秋)|斉]]の第26代君主。母の[[穆孟姫]]は[[魯]]の宰相[[叔孫僑如]]の娘。[[荘公光]]の |
'''景公'''(けいこう)は、[[春秋時代]]の[[斉 (春秋)|斉]]の第26代君主。母の[[穆孟姫]]は[[魯]]の宰相[[叔孫僑如]]の娘。[[荘公光]]の異母弟。 |
||
兄の荘公が[[横死]]したあと、[[崔杼]]に擁立されて斉公となる。崔杼の死後は[[晏嬰]]を宰相として据え、軍事面では晏嬰の推薦により[[司馬穰苴]]を抜擢した。斉は景公のもとで覇者[[桓公 (斉)|桓公]]の時代に次ぐ第2の栄華期を迎え、[[孔子]]も斉での仕官を望んだほどである。しかし、これらの斉の繁栄は晏嬰の手腕によるもので、景公自身は贅沢を好んだ暗君として史書に描かれる場合が多い。 |
兄の荘公が[[横死]]したあと、[[崔杼]]に擁立されて斉公となる。崔杼の死後は[[晏嬰]]を宰相として据え、軍事面では晏嬰の推薦により[[司馬穰苴]]を抜擢した。斉は景公のもとで覇者[[桓公 (斉)|桓公]]の時代に次ぐ第2の栄華期を迎え、[[孔子]]も斉での仕官を望んだほどである。しかし、これらの斉の繁栄は晏嬰の手腕によるもので、景公自身は贅沢を好んだ暗君として史書に描かれる場合が多い。 |