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* 敗北の少なさもさることながら(ポンサクレックに対する2敗のみ)ダウンもしない選手である。過去のダウン経験はKO負けを喫したポンサクレックとの初世界戦のみである。一見ガードが低く見られがちだがパーリングやウィービング、あるいはスリッピングなどのパンチをかわす技術に秀でている。
* 敗北の少なさもさることながら(ポンサクレックに対する2敗のみ)ダウンもしない選手である。過去のダウン経験はKO負けを喫したポンサクレックとの初世界戦のみである。一見ガードが低く見られがちだがパーリングやウィービング、あるいはスリッピングなどのパンチをかわす技術に秀でている。
* ニックネームの'''最短男'''は[[小嶋武幸]]を日本タイトルマッチ史上最短記録1R24秒でのKO勝ち(全階級を通じての最短レコード)。ポンサクレック・ウォンジョンカム‎に世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録での1R34秒でのKO負け。いずれも現時点での最短レコードであり、この両方を指してのことである。
* ニックネームの'''最短男'''は[[小嶋武幸]]を日本タイトルマッチ史上最短記録1R24秒でのKO勝ち(全階級を通じての最短レコード)。ポンサクレック・ウォンジョンカム‎に世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録での1R34秒でのKO負け。いずれも現時点での最短レコードであり、この両方を指してのことである。
*叩き上げで這い上がってきた存在であり、苦労人だったためか、高慢な態度は一切出さず、どんな人にも対等に接している。ボクシングに打ち込む一番の理由は「試合を観ている人が喜んでくれるから」と言っている。そのような人柄が受け、ボクシングファンに限らず人気がある。


== 獲得タイトル ==
== 獲得タイトル ==

2008年4月26日 (土) 16:36時点における版

内藤 大助
基本情報
本名 内藤 大助
通称 北の剛拳
最短男
階級 フライ級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1974-08-30) 1974年8月30日(49歳)
出身地 北海道虻田郡豊浦町
スタイル 右変則ファイター
プロボクシング戦績
総試合数 37
勝ち 32
KO勝ち 20
敗け 2
引き分け 3
無効試合 0
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内藤 大助(ないとう だいすけ、1974年8月30日 - )は、日本のプロボクサーWBC世界フライ級王者・元日本&OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属。北海道虻田郡豊浦町出身。北海道豊浦高等学校卒。血液型O型。既婚。愛称は「北の剛拳」「最短男」。身長164cm。現在のトレーナーは白井・具志堅スポーツジム野木丈司

来歴

幼少期に両親が離婚、実母は民宿を営み、貧しい母子家庭に育った。中学校時代はいじめが原因で胃潰瘍になるほどであったという。高校生の時はハンドボール部に所属。地元での就職に失敗し、高校卒業後実兄を頼り、就職のために上京、書店で目にしたボクシング雑誌を読み、アパートの近くのボクシングジムに入門した。

坂田戦については大串事件を参照
  • 2002年4月19日タイポンサックレック・シンワンチャーWBC世界フライ級王座に挑戦し、世界フライ級タイトルマッチ史上最短の1R34秒KO負けを喫する。しかし、復帰戦でKO勝ちすると、その後も菊井徹平を下すなど順調に勝ち進みランキングを上昇させてゆく。
  • 2004年6月6日中野博の日本フライ級王座に挑戦。内藤は中野から2度のダウンを奪うなど一方的に攻め続け、6Rに偶然のバッティングによる負傷判定勝ちを収め、日本王座を獲得。
  • 2004年10月、小嶋武幸を相手に日本王座の初防衛戦を行い、日本タイトルマッチ史上最短となる1R24秒KO勝ちを収める。
  • 2005年10月、WBC世界フライ級王者ポンサクレック・ウォンジョンカム‎に再挑戦するも、7R負傷判定で敗れ、世界王座の獲得はならなかった。
  • 2006年6月、東洋太平洋フライ級王者小松則幸と、史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを行い、小松を6RTKOで破り、日本・東洋太平洋王座の2冠を達成する。同年12月には東洋太平洋王座単独の防衛戦を行い、判定で初防衛に成功している。
  • 2007年2月、自身の負傷および、日本・東洋王座の防衛戦の兼用の厳しさを理由に東洋王座を返上。以降は日本王座を防衛しながら3度目の世界挑戦を表明。
    • ポンサクレックに3度目の挑戦を表明するも、地上波放映を決定していたTV局が放送を取りやめ、スポンサーが集まらず開催が危ぶまれる。その後ドンキホーテなどが名乗りを上げるも[1]、必要な金額まで至らなかった。その後7月6日になって東京ローカル局のTOKYO MXが生放送で地上波での中継放送を行うことを発表。必要な金額も目途が立ち、ようやく試合開催にこぎつけた[2]
  • 2007年7月18日、WBC世界フライ級王座3度目の挑戦で、王者ポンサクレック・ウォンジョンカム‎に12R判定勝ちし、5年前の雪辱を果たす。世界初挑戦から約5年、ついに悲願のチャンピオンベルトを巻いた[3]
  • 2007年10月11日、初防衛戦を行い、WBC世界フライ級14位の亀田大毅に3-0の判定で勝利した。
  • 2008年3月8日両国国技館で、2度目の防衛戦で前王者ポンサクレックの挑戦を受けた。試合は12R判定でジャッジは内藤勝利1、ポンサクレック勝利1、ドロー1で引き分けとなったため、規定により2度目のタイトル防衛。前王者とはこれで4度目の対決となった。

戦績

  • プロボクシング: 37戦 32勝 20KO 2敗 3分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1996年10月11日 勝利 1R 0:55 KO 西野龍三 日本の旗 日本(レパード玉熊) プロデビュー戦
2 1997年4月30日 勝利 2R 0:39 KO 押金励 日本の旗 日本(角海老宝石)
3 1997年6月17日 勝利 1R 0:42 KO 関裕介 日本の旗 日本(高崎)
4 1997年8月1日 4R 判定1-0 榎本信行 日本の旗 日本(三迫)
5 1998年4月23日 勝利 1R 1:45 KO 安斉治明 日本の旗 日本(F赤羽)
6 1998年6月30日 勝利 1R 1:24 TKO 佐藤崇 日本の旗 日本(MI花形)
7 1998年8月7日 勝利 1R 2:20 KO 伊藤克憲 日本の旗 日本(角海老宝石)
8 1998年9月28日 勝利 4R 判定2-0 久保田隆治 日本の旗 日本(沖)
9 1998年11月8日 勝利 6R 判定3-0 佐藤宏章 日本の旗 日本(F赤羽) 東日本フライ級新人王トーナメント決勝戦
10 1998年12月9日 勝利 1R 1:00 KO 福山登 日本の旗 日本(大阪帝拳) 全日本フライ級新人王決定戦
11 1999年4月5日 勝利 2R 1:36 TKO ジュン・オルハリーサ フィリピンの旗 フィリピン
12 1999年6月14日 勝利 7R 0:25 TKO ジョビー・マンチャ フィリピンの旗 フィリピン
13 1999年9月13日 勝利 1R 1:28 KO 李明星 大韓民国の旗 韓国
14 1999年12月15日 勝利 8R 判定3-0 田中潤 日本の旗 日本(ワタナベ)
15 2000年7月6日 勝利 6R 判定3-0 伊波秀吉 日本の旗 日本(具志川)
16 2000年9月19日 勝利 3R 2:12 KO ヨドペット・チュワタナ タイ王国の旗 タイ
17 2000年10月28日 勝利 3R 1:11 TKO サックモンコン・シンマナサック タイ王国の旗 タイ
18 2000年12月5日 勝利 10R 判定 池田政光 日本の旗 日本(渡嘉敷)
19 2001年2月13日 勝利 5R 2:37 TKO 殿台カローラ フィリピンの旗 フィリピン(殿台赤城)
20 2001年7月16日 10R 判定1-0 坂田健史 日本の旗 日本(協栄) 日本フライ級タイトルマッチ
21 2001年10月18日 勝利 5R 2:16 TKO ウィン・ネイションマン タイ王国の旗 タイ
22 2002年4月19日 敗北 1R 0:34 KO ポンサクレック・シンワンチャー タイ王国の旗 タイ WBC世界フライ級タイトルマッチ/世界フライ級タイトルマッチ史上最短KO記録
23 2002年9月19日 勝利 7R 1:53 TKO タオチャイ・ソーソーゴージム タイ王国の旗 タイ
24 2002年12月11日 勝利 10R 判定3-0 菊井徹平 日本の旗 日本(花形)
25 2003年2月26日 勝利 2R 0:34 TKO マノップ・シットゴーソン タイ王国の旗 タイ
26 2003年9月2日 勝利 5R 1:15 TKO ソントーン・チタラダ タイ王国の旗 タイ
27 2004年2月25日 勝利 2R 2:46 TKO 瓜生崇大 日本の旗 日本(輪島S)
28 2004年6月6日 勝利 6R 2:33 負傷判定3-0 中野博 日本の旗 日本(畑中) 日本フライ級タイトルマッチ
29 2004年10月11日 勝利 1R 0:24 TKO 小島武幸 日本の旗 日本(横浜さくら) 日本防衛1/日本タイトルマッチ史上最短KO記録
30 2005年4月11日 勝利 10R 判定3-0 榎本信行 日本の旗 日本(三迫) 日本防衛2
31 2005年10月10日 敗北 7R 2:38 負傷判定0-3 ポンサクレック・ウォンジョンカム タイ王国の旗 タイ WBC世界フライ級タイトルマッチ
32 2006年2月13日 勝利 10R 判定2-1 中広大悟 日本の旗 日本(広島三栄) 日本防衛3
33 2006年6月27日 勝利 6R 1:38 TKO 小松則幸 日本の旗 日本(エディタウンゼント) 日本・OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ/日本防衛4
34 2006年12月10日 勝利 12R 判定3-0 吉山博司 日本の旗 日本(ヨシヤマ) OPBF防衛1
35 2007年7月18日 勝利 12R 判定3-0 ポンサクレック・ウォンジョンカム タイ王国の旗 タイ WBC世界フライ級タイトルマッチ
36 2007年10月11日 勝利 12R 判定3-0 亀田大毅 日本の旗 日本(協栄) WBC防衛1
37 2008年3月8日 12R 判定1-1 ポンサクレック・ウォンジョンカム タイ王国の旗 タイ WBC防衛2
テンプレート

亀田家との因縁

以前は元WBA世界ライトフライ級王者亀田興毅との対決を熱望していたが、亀田陣営は「6回戦レベル」などと挑発しながらも、対戦に対しては全く乗ってこなかった。

内藤はポンサクレックへの3度目の挑戦の直前に「世界王者になれたら、亀田を挑戦者に指名する」と宣言をして実際に王座に付いたのだが、亀田側は「(内藤が世界王者になったことで)ボクシングのレベルが下がった」とコメント。興毅ではなくその弟である亀田大毅(WBCフライ級14位)との対戦が初防衛戦(2007年10月11日)となった。これは亀田側が最年少世界王座獲得の日本記録を意識していたためである(大毅が勝てば記録が5日更新)。しかし結果は3者とも7点から10点差以上の大差で内藤優勢とし、3-0で快勝して初防衛した。

またこの試合、観客の応援は内藤が圧倒的に多かった。この試合で大毅が様々な反則行為を行ったことから、内藤は「亀田が反省しないのなら、もう亀田家とはやらない」と発言している。また、亀田側の謝罪会見で、大毅が坊主姿になったことについては、「大毅が相当のショックを受けている」「気持ちが伝わった」とコメントしている。会見の翌日には大毅から謝罪訪問を受け、「誠意が伝わりました。お父さんからも電話で連絡をいただき、謝罪を受けました。大毅君は素質のある選手なので、これからも頑張ってほしいと思います」とコメントした。

更に10月26日の協栄ジム金平桂一郎会長と亀田興毅による謝罪に対しても「興毅君は立派でした」と開口一番に讃えた上で「自分の中では大毅君とお父さんの謝罪を受けてすでに終わっている件だが、公の場で公式に謝罪したので、みなさんにも誠意は伝わったんじゃないでしょうか」と語っていた。

逸話

  • 入場曲は、C-C-Bの「Romanticが止まらない」。これは、内藤がいじめにあっていた時、C-C-Bのラジオ番組にいじめのことを相談する葉書を出し、それが採用されたことによる。
  • 上京直後は実父の経営する会社に就職。そのころにボクシングと出会う。当初はプロデビューを目的にしていたわけではなかった。
  • 2007年6月まではレンタカー店で働き、喫茶店勤めの妻と合わせて月収12万円ほどであった。
  • 全日本新人王、東洋太平洋チャンピオン、日本チャンピオン、WBC世界チャンピオンと主要タイトルを総なめにして上り詰めた正統派の選手にもかかわらず、世間で認知を得られたのは亀田大毅との試合からである。
  • 敗北の少なさもさることながら(ポンサクレックに対する2敗のみ)ダウンもしない選手である。過去のダウン経験はKO負けを喫したポンサクレックとの初世界戦のみである。一見ガードが低く見られがちだがパーリングやウィービング、あるいはスリッピングなどのパンチをかわす技術に秀でている。
  • ニックネームの最短男小嶋武幸を日本タイトルマッチ史上最短記録1R24秒でのKO勝ち(全階級を通じての最短レコード)。ポンサクレック・ウォンジョンカム‎に世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録での1R34秒でのKO負け。いずれも現時点での最短レコードであり、この両方を指してのことである。

獲得タイトル

  • 東日本フライ級新人王
  • 全日本フライ級新人王
  • 日本フライ級王座(防衛4=返上)
  • OPBF東洋太平洋フライ級王座(防衛1=返上、日本・東洋の現役2冠を達成)
  • WBC世界フライ級王座(防衛2)

メディア出演

テレビ番組

ラジオ番組

  • Kakiiin(2007年12月5日 - 2008年3月28日、TBSラジオ)毎週水曜日「ラジオパンチドランカー」コーナー担当

CM

脚注

  1. ^ 内藤の世界戦をドン・キホーテが応援”. 日刊スポーツ (2007年6月8日). 8月16日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  2. ^ 内藤の世界戦がMXテレビで生放送決定”. 日刊スポーツ (2007年7月7日). 8月16日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  3. ^ 内藤奇跡!王座奪取”. 日刊スポーツ (2007年7月18日). 8月16日閲覧。accessdateの記入に不備があります。

関連項目

外部リンク

前王者
中野博
第49代日本フライ級王者

2004年6月6日 - 2007年4月25日

次王者
吉田健司
前王者
小松則幸
第35代OPBF東洋太平洋フライ級王者

2006年6月27日 - 2007年1月20日

次王者
ジョジョ・バルドン
前王者
ポンサクレック・ウォンジョンカム
第34代WBC世界フライ級王者

2007年7月18日 - 現在

次王者
N/A