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「高砂家ちび助」の版間の差分

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戦前は端席、戦後は[[花王名人劇場]]などに出演し人気を博した。
戦前は端席、戦後は[[花王名人劇場]]などに出演し人気を博した。


[[山本益博]]を聴き手とした[[芸談]]が、[[南博]]・[[永井啓夫]]・[[小沢昭一]]編集『芸双書 1 いろどる-色物の世界』(1981年、白水社、{{NCID|BN00509921}})に収録されている。
[[山本益博]]を聴き手とした[[芸談]]が、[[南博 (社会心理学者)|南博]]・[[永井啓夫]]・[[小沢昭一]]編集『芸双書 1 いろどる-色物の世界』(1981年、白水社、{{NCID|BN00509921}})に収録されている。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2023年10月22日 (日) 22:33時点における最新版

高砂家たかすなや ちびすけ
本名 森田 辰五郎
生年月日 不詳年
没年月日 1983年2月2日
師匠 桂小文治
高砂家吉右衛門

高砂家 ちび助1905年 - 1983年2月2日)は寄席芸人東京都出身。本名は森田 辰五郎。


最初落語家桂小文治の下で桂小助を名乗り修行したが、1921年に茶番()狂言を演じる茶番師の高砂家吉右衛門の門下になり、140センチ程だったといわれている身長の低さから、後に高砂家ちび助と名乗る。

得意ネタは「唖の釣り」「たぬき」等があった。特に小柄な体を生かした、のろまな蝿取り、百面相寄席踊り等、人があまりやらない珍芸を売りにしていた。

戦前は端席、戦後は花王名人劇場などに出演し人気を博した。

山本益博を聴き手とした芸談が、南博永井啓夫小沢昭一編集『芸双書 1 いろどる-色物の世界』(1981年、白水社、NCID BN00509921)に収録されている。

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