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2023年10月16日 (月) 22:52時点における版
大紅門 | |
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各種表記 | |
簡体字: | 大红门 |
拼音: | Dahongmen |
発音: | ダホンメン |
大紅門事件(だいこうもんじけん)は、1937年7月13日に中華民国北平南苑区(現豊台区)の大紅門で中国軍第38師に日本兵が襲撃された事件。
概要
満州事変は停戦協定が結ばれたが、その後も日本側の介入工作や、中国側の抗日救国運動などで情勢は緊迫していた。
1937年(昭和12年)7月7日、北京郊外で盧溝橋事件が勃発した。7月11日に停戦協定が締結されたが、近衛文麿は増派声明を出す。 その2日後の7月13日、北京の大紅門で日本軍のトラックが中国軍第38師に爆破され日本兵4名が死亡する事件が起きた。7月14日、日本軍騎兵1名が惨殺される[1]。7月18日から20日まで日本軍への攻撃も発生した[要出典]。
その後も中国側の事件が起き、7月28日に日本軍は北京周辺で占領行動を開始。翌日、親日政権(冀東防共自治政府)の一部の保安隊が寝返り、通州事件を起こす。8月8日、日本軍は北部で勢力拡大するチャハル作戦を認可。 8月13日、中国軍は上海租界駐留の日本軍を攻撃。
脚注
- ^ 岩谷將防衛研究所主任研究官. “日中戦争の展開塘沽停戦協定からトラウトマン工作まで” (PDF). 民主党. 2015年9月11日閲覧。
参考文献
- 水野靖夫『日本人として最低限知っておきたい“Q&A”近現代史の必須知識』PHP研究所、2006年、56頁。
- 『歴史通 2011年3月号』ワック、2011年、163頁。
- 加藤康男「虐殺の城門へ」『慟哭の通州―昭和十二年夏の虐殺事件』飛鳥新社、2016年10月5日 。2019年9月17日閲覧。
関連項目
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